(「野球と其害毒」東京朝日新聞より) の続き。
■1911年(明治44年)8月29日から連載を開始した「野球と其害毒」。その第8回目(9月5日)は早稲田旧野球選手・河野安通志談。
この河野氏、新聞が掲載された時点では早稲田大講師を務めていたが、現役時代はバリバリの早稲田のエースだった。1905年(明治38年)の米国遠征では26試合中24試合を連投し「鉄腕」と呼ばれたし、早慶戦が始まった第1戦から中止になった第9戦までをすべて先発完投したのも、この河野氏だった。
その早稲田の元エースが「野球害毒論」を述べたのだから、世の中の反響は凄まじかった。いったい河野の発言は真意なのか?と。結論を先に言えば、河野氏は後日、この記事が捏造であるとして東京朝日に猛然と反論することになる。そしてそのことが当時の新聞界を二分するほどの大きな問題に発展したのだ。(ま、そのへんの経緯は後日書くことにします)。
■さて河野談、見出しはそのものズバリの「旧選手の懺悔」。曰く、
私は野球そのものは大に好運動だと思っている。もし御社の記事にして目下日本の野球界に存する弊風を一掃なさろうというお考えならばまことに結構なことだ。いかにも日本の野球界には私達がひいき目に見てもたくさんの弊風がある。
そう語り、この後に河野の懺悔が始まった。(続きは次回に)
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