あま野球日記@大学野球
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「太平洋クラブライオンズ」 ライオンズは栄光の歴史だけを刻んできたわけではない。 光の裏には、同じ数だけ影がある。 人は眩いばかりの栄光の軌跡を記憶し、挫折の日々を忘れてしまう。 61年のライオンズ史を未来に語り継いでいくうえで、目を背けられない時代、それが「太平洋クラブライオンズ」。 球団滅亡の危機、逆襲の獅子という魂、ファンを魅了するプロとしての精神。 ライオンズ史上、最もどん底で、もがき苦しんでいた時代を復活させることで、 「暗」から目をそらさず、確固たる精神を持ち、伝統を継承していくために・・・ ■上記は、埼玉西武ライオンズ「ライオンズ・クラシック2010」のHPに記載されていたもの。つい先ほど見つけることができた。 ここ数ヶ月間、西武の選手たちが太平洋クラブライオンズ時代のユニフォームを身にまとう姿をテレビで見かけることがあった。 その選手たちの姿を見るたび、ボクは不思議に思った。 ■それは、いくらクラシックユニフォーム流行りとはいえ、太平洋クラブライオンズ時代のことをいったいどれだけのファンが懐かしむのだろうか? といった疑問があったから。 1969年~翌70年にかけて球界を激震させた「西鉄ライオンズ・黒い霧事件」 。この事件の「暗い余韻」がライオンズという球団にまだ色濃く残っていた時代、新たに球団経営を譲り受けたのが太平洋クラブ(1973年~76年)だった。 当時、ボクには「太平洋クラブライオンズ=暗黒の球団」としか思えず、とても好きになれない球団だった。選手だって個々の能力は高いものの、すでに年齢が峠を過ぎたロートル集団。優勝とかはまったく無縁な球団だった。 ついでにいえば、当時法政大のエースだった江川卓を強行指名して、江川に思い切り振られたことは「暗さ」に「情けなさ」も加えた。スカウトが江川の自宅玄関前で一日中立ち尽くす写真が新聞に大々的に報じられたこともあったっけ。 そんなわけで、なぜ今さら太平洋クラブライオンズ? って思ったんだけど、「暗」から目をそらさず、確固たる精神を持ち、伝統を継承していくといった強い意志の現れだったんだね。初めて合点がいった。 ■調べてみたら、太平洋クラブライオンズにはこんな選手たちがいた。 福富邦夫、基満男、竹之内雅史、東尾修、加藤初、柳田豊、土井正博、白仁天、江藤慎一、大田卓司、五月女豊、関本四十四など。 球団に懐かしさは感じないけど、さすがに選手名は懐かしいなぁ・・・。
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