あま野球日記@大学野球
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■今日(7月13日)、元巨人・柴田勲さんの講演会に行ってきた。演題は「あのV9戦士・柴田勲氏の『我が栄光の巨人軍』。 ボクが子供の頃、巨人の選手で一番好きだったのは黒江透修さん。そして次に好きだったのが柴田さんだった(特に背番号「12」の頃)。1番打者というのが憧れだったし、足が速いこともよかった。また、柴田さんは「内また」も特徴の一つだった。ボクは柴田さんの歩き方を真似して、つま先を地面に擦って歩く「内また歩き」を練習したこともあった。(嗚呼、なんとバカなことを・・・) ■ただボクが講演会に出席しようと思ったそもそもの理由は、巨人時代の話を聞くことではない。尾崎行雄さんとの高校時代の思い出話を聞くことだった。 そして講演会後、尾崎さんの店に行き、柴田さんの話を肴にして尾崎さんの昔話を聞かせていただければ嬉しいな!と、そういう腹積もりでいた。ところが、この講演会があることを知った(6月7日)約一週間後、尾崎さんが急逝してしまったのだ(13日)。 ■そんなわけでボクの細やかな企ては一瞬にして崩れ、目的を失ったまま今日の講演会参加となった。案の定、柴田さんの話には尾崎さんの名前が出てきた。法政二高と浪商高の3度にわたる対戦について話し始めた時である。 「尾崎君は真っ直ぐだけで勝負を挑んできた凄い投手だった。3度目の対戦(昭和36年夏) は延長戦になったが、延長になってから一層スピードが速くなったのには驚いた」と言い、また「彼の一番凄いところは、登板前はいつも27人の打者全員から三振を奪おうと考えていたこと。そしてそれが果たせなければ、次に完全試合を狙う。さらにそれも叶わなければ、次にノーヒットノーランを狙うなど、常に高い目標をもって相手打線に立ち向かう投手だった」と話していた。 (写真)浪商高時代の尾崎行雄さん。~『高校野球 忘れじのヒーロー』(ベースボール・マガジン社刊)~ ≪アーカイブ≫「豪腕」浪商高・尾崎行雄と「怪腕」柴田の三度にわたる対戦 最初の対決は1960年夏、甲子園2回戦だった。 (1)1960年夏 2回戦(8月15日) 法政二高 4-0 浪商高 法政二 000 000 040 =4 浪商高 000 000 000 =0 (法)○柴田、(浪)●尾崎 この時、尾崎は1年生、柴田は2年生だった。 柴田「あの年、慶應高校に渡辺泰輔(慶應大‐南海)さんという剛速球投手がいてね。僕らはその渡辺さんを打てないと甲子園に行けないというんで、速いボールを打つ練習はかなり積んでいたんだよ。でも尾崎君の球は速かったよ。手元でピュッと伸びてたもの」 尾崎「たしかに速かったかもしれないけど、僕の場合は速いだけ。その点、柴田さんのピッチングは、制球力といい配球といい、ほぼ完成されていましたものね」 (以上、前出の『忘れじのヒーロー』より引用)。 補足のため、別の書籍から以下に引用。 スコア0-0で迎えた8回、カーブを多投し疲れの見えた尾崎を攻略するため、法政二高の田丸仁監督は打者に外角のストレートとカーブに的を絞らせ、一挙4点を奪い勝利を決めた。その後も勝ち進んだ法政二高がこの大会を制した。 (『甲子園-名投手物語』 鈴木俊彦著、心交社刊) (2)1961年センバツ 準々決勝(4月3日) 法政二高 3-1 浪商高
法政二 000 020 100 =3 浪商高 010 000 000 =1 (法)○柴田、(浪)●尾崎 柴田「尾崎投手は前年の夏よりもさらに速球に磨きがかかっていた」 尾崎「打倒・法政二高で燃えていましたからね(笑)。自分で言うのもなんですが、1回戦の日大二戦は17奪三振、2回戦の明星戦は14奪三振でともにシャットアウト。ほぼ完ぺきの状態で法政二戦を迎えたんですよ」 柴田「うちとの試合でも最初から飛ばしていたんだよね」 尾崎「たしか4回までノーヒットで毎回の7奪三振。味方も2回に1点取ってくれたんで、今度は行けると思ってたんですがね~」 (『忘れじのヒーロー』) 事実上の決勝戦とも言われたが、イレギュラー打球の不運などもあり、浪商高は再び法政二高の軍門に降った。その後、法政二高はこの大会でも優勝した。 (『甲子園-名投手物語』) (3)1961年夏 準決勝(8月19日) 浪商高 4-2 法政二高 浪商高 000 000 002 02 =4 法政二 100 100 000 00 =2 (浪)○尾崎、(法)●柴田 尾崎「8回を終えて0対2と2点ビハインド。でも不思議と負ける気はしなかった。それは柴田さんが肩か肘を故障しているという情報が入っていたから」 柴田「あの時はもう腕が上がらない状態。なんとかだましだまし投げていたんだけれど、9回表に一死からデッドボールを与えてしまって・・・。その後連打を喰らって二死満塁。迎えたバッターは5番・ピッチャー尾崎」 尾崎「たぶん、あの打席まで柴田さんから一本もヒットを打ってなかった。でもあの打席は不思議と落ち着いていた。そしてカウント2-2からの5球目、ションベンカーブが肩口からスーッと入ってきた。変化球は苦手でしたが、さすがにアレは打てました」 (『忘れじのヒーロー』) 打倒・法政二、打倒・柴田が浪商ナインの合言葉だった。燃えに燃えて臨んだこの試合は延長11回の末、三度目の対決でやっと初勝利。そして浪商は決勝も勝利し、この大会の優勝を決めた。 (甲子園-名投手物語) 延長11回表、無死一・二塁から、併殺を狙った二塁手のエラーで1点を勝ち越し、さらに尾崎の犠飛で2点を奪い、法政二を4-2で破った。決勝戦では、森川勝年(慶應大‐松下電器)がエースの桐蔭高を3安打で完封して優勝した。2年生の尾崎投手は5試合で54奪三振をマーク、翌年の活躍が期待されたが、11月に高校を中退してプロ入りした。 (『高校野球 甲子園全出場校大事典』、森岡浩編、東京堂出版刊)
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