テーマ:日本野球史(134)
カテゴリ:世相
■1972年、時の総理・佐藤栄作が退任を決意し、その会見に臨んだ6月17日のことである。会見の冒頭、佐藤はこう述べた。 同年3月に暴露された「沖縄密約」や「ニクソンショック」などが起因し、佐藤の7年8か月にわたる長期政権がついに幕を下ろした。そして、佐藤が当初意図していた福田赳夫へのスムーズな政権移譲は不可能になり、代わって首相の座を射止めたのは、田中角栄だった。
■田中が首相に就任するとすると、「今太閤」「庶民宰相」と称賛され、国民の評判は上々だった。そして、衆議院選に初出馬の時に地元新潟で演説した「三国峠をダイナマイトでふっ飛ばせば越後に雪は降らない。その土を日本海に運べば佐渡と陸繋ぎになる」、その言葉を具現化した『日本列島改造論』をぶち上げた。 そもそも石油危機は、OAPECとOPECの産油国がアラビアンライト原油の価格を値上げしたことに始まる。価格上昇だけでも大打撃なのに、アラブの友好国」以外への輸出削減措置も打ち出したものだから、田中政権は大いに慌てた。 ■アラブをとるか、それともイスラエルか。その時、田中は、石油を確保するためにはアラブ寄りに舵を切る以外にない、そう決断した。怒ったのはアメリカである。石油消費国は結束してアラブ産油国に対応しなければならないのに、日本だけが抜け駆けをするのか、と。 キッシンジャー「いまアメリカは中東和平工作を進めている。日本がアラブ寄りに変わることは控えてほしい。無理をすると日米関係にヒビが入る」 後に、田中がロッキード事件で訴追を受けることになった時、ジャーナリスト田原総一朗は雑誌『中央公論』に、『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』と題してこう書いた。 ストックは判断が遅れて機を逃す懸念があるが、フローでは判断が拙速にならないか、その点が心配だ。どちらが良いというものではないが、キッシンジャーへの対応や、田原の書いた記事は、フローの長所と短所が端的に表れた事象だったといえまいか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.12.15 00:00:57
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