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あま野球日記@大学野球

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2014.03.29
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カテゴリ:世相
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■赤い鳥、そしてハイ・ファイ・セットのギタリストだった山本俊彦が死去と、先ほどテレビのニュースが報じていた。

この訃報を聞き、名曲「翼をください」を初めて知った時のことを思い出した。



■それは、ボクが中学生になった頃だった。玉川大学のコーラス部?のメンバーがわが中学(岩手)に来てくれ、何曲か聞かせてくれたことがあった。その一曲が、この曲だった。東京の匂いをプンプンさせた彼ら彼女らのこととともに、「翼をください」という曲が強烈にボクの頭に残った。

当時は野球しか知らない野球小僧度100%のボクだったけれど、「翼をください」という曲に感動し、「赤い鳥」というグループの存在を知った。そして、親にせがんで小遣いをもらい、レコード店に行ったことを覚えている。



■「赤い鳥」が名を世に轟かせたのは、1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場し、「竹田の子守唄」を歌ってグランプリに輝いたこと。

この大会にはオフコースやチューリップも出場していたが、財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったと、いう有名な逸話もある。



■この赤い鳥を知ったことにより、以降、ボクはフォークというか、ニューミュージックにはまっていった。夜中12時半~の「大石吾郎のコッキーポップ」(ニッポン放送)を聞くようになり、その後、オールナイトニッポンなどの深夜放送に興じた。

ここ数年、夫人の山本潤子さんをテレビで見かけることはあったけれど、俊彦氏はこれまでも病気療養していたのだろうか。

ご冥福をお祈りします。






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Last updated  2014.03.29 11:41:54
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