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カテゴリ:日常のつれづれ/人生
人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。 そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。 哲学的に誇張して言えば、ここではコベルニクス的展開が可能なのであると云えよう。 すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。 人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。 人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の勤めを行う事に対する責任を担うことに他ならないのである。 ・・・ビクター・フランクル夜と霧」。 「 ナチス政権下、強制収容所に入れられて、過酷な体験をした生還者である心理学者の手記。 あまりにも酷な体験のなかで、生き延びた人は、生きる事への意味を持った人であったそうです。 そして、生きる意味とは、自らが問うことではなくて、人生からの問いに行動によって答えることであると作者は述べます。 まさに、人生に問われているなと、思う瞬間があります。 それでも、この道を進むのか? 私らしく生きるとは、もっとわたしらしさを突き詰めたらどうなるのか? そうして、問いを持ちながら生きることは、とても有効に生きる哲学を持たせてくれるように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年09月10日 13時01分15秒
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