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カテゴリ:(完結)東京歩きめぐり
2019年08月05日(月)晴
7月29日に気象庁から関東甲信地方の梅雨明けが発表され、それ以降 東京では連日猛烈な暑さが続いている。今回歩くのは、台東区の谷中1~2丁目。09:05 谷中6丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第143回 】を歩き始める。 谷中1丁目。「善光寺坂」を下る。坂名は、かつて坂上の北側にあった善光寺に由来する。善光寺は 1601年(慶長6年)信濃善光寺の宿院として建立された。1703年(元禄16年)大火に類焼、青山(現在の港区)へ移転した。 「臨江寺」には国史跡「蒲生君平墓」がある。君平は江戸時代後期の儒学者・尊王論者で、歴代天皇陵を調査して「山陵志」を著した。「勅旌 忠節 蒲生君平墓」碑は 1869年(明治2年)明治天皇の勅命により建立。1942年(昭和17年)国史跡に指定されたのは、戦時中という時代背景が影響しているのだろう。 「三浦坂」を上る。江戸時代に美作(現在の岡山県北部)勝山藩三浦家下屋敷前の坂道だったことに、坂名は由来する。谷中のランドマーク「ヒマラヤ杉」を訪れる。戦前 鉢植えで育て始めたものが、現在の大木になったという。 「延壽寺」の「日荷堂」を訪れる。日荷(にちか)は武蔵国六浦(現在の横浜市)の人で、自ら造立した2躰の仁王像を背負い、六浦から身延山久遠寺(現在の山梨県身延町)まで歩いて運び上げたと伝わる。1755年(宝暦5年)延壽寺では身延山から日荷上人尊像を勧請。以来、健脚の神様・足病平癒の祈願所として親しまれている。 谷中2丁目。「大名時計博物館」前には「勝山藩下屋敷跡」標柱がある。この一帯が勝山藩三浦家下屋敷だった。「あかじ坂」を下る。坂名は、明治時代の財閥 渡辺治右衛門の屋敷があったことに由来する。明石屋という乾物屋を営んでいたので、通称を明石家治右衛門といった。それを略して「明治(あかじ)」という説がある。 「真島坂」を上る。幕末に勝山藩が真島藩へと改称、1872年(明治5年)一帯が谷中真島町となったことに、坂名は由来する。「へび道」を歩く。現在は暗渠になっているが、かつては藍染川の流路だったため、くねくねと蛇行している。へび道は台東区と文京区の区境でもある。10:00 あかじ坂下 、【 東京歩きめぐり 第143回 】はここで終わり。 谷中6丁目交差点 → あかじ坂下 : 3.3 km お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.06 13:29:37
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