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「歩きつなぎの旅」の記録

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2023.05.03
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2023年05月03日(水)快晴


五月晴れ。憲法記念日。今回歩くのは、安政5年(1858年)板「東都番町大絵図」のうち、現在の千代田区四番町・五番町・六番町に当たる地区。08:50 JR四ツ谷駅麹町口 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第16回 】を歩き始める。

六番町。切絵図に「火附盗賊御改(ひつけとうぞくおんあらため)戸田與左エ門」とあるのは、幕臣 戸田正意(まさおき)の屋敷。与左衛門は通称。元治元年(1864年)から慶応2年(1866年)まで、正意は江戸幕府最後の火附盗賊改頭を務めた。火附盗賊改方は放火・強盗・賭博を取り締まる役職。現在 屋敷跡には番町小学校が建っている。



五番町。切絵図にある「三年坂」を上る。標柱の解説によると坂名は、かつて三念寺があったことに由来し、本来は三念寺坂が正しいという。切絵図の坂上に「川路太郎」とあるのは、勘定奉行・外国奉行として日露和親条約締結等に尽力した、旗本 川路聖謨(としあきら)の嫡孫太郎の屋敷。



聖謨は井伊直弼に疎まれて左遷された後この屋敷で隠居生活を送り、慶応4年(1868年)江戸開城に際して割腹の上ピストルで自害した。現在 屋敷跡にはマンション等が建っている。切絵図に「市ヶ谷御門」とあり、枡形門が記されている。



明治4年(1871年)市ヶ谷門は枡形石垣と土橋を残して撤去され、その後 枡形石垣も撤去された。雑草に覆われて分かりにくいが、土橋に残る石垣は江戸時代のものとされる。土橋の西側が市ヶ谷濠、東側が新見附濠。



四番町。切絵図の「法眼坂(ほうげんざか)」は、現在の地図では「行人坂(ぎょうにんざか)」と記載されている。法眼坂の名前は、近くにあった斎藤法眼という医師の屋敷に由来するという。法眼とは僧侶の階級のひとつで、江戸時代には医師・絵師・連歌師等に授けられた称号。



切絵図に「井上信濃守」とある。旗本 井上清直の屋敷。安政5年(1858年)清直は下田奉行として日米修好通商条約の調印に尽力した。前述の川路聖謨は実兄。現在 屋敷跡は「番町の庭」という飲食関連施設になっていて、頭の中お花畑な連中がこんな時間から行列している。09:35 番町の森(日本テレビ社屋跡地、ほとんど芝生なのに何故か森)、【 江戸切絵図歩きめぐり 第16回 】はここで終わり。


JR四ツ谷駅 → 番町の森 : 3.0 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 40.7 km )






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Last updated  2023.05.04 09:15:54
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