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「歩きつなぎの旅」の記録

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2024.08.06
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2024年08月06日(火)曇


曇り空。湿度が高く、Tシャツはすぐに汗でびっしょり。今回歩くのは、文久元年(1861年)板「芝三田二本榎高輪辺絵図」のうち、現在の港区三田1~2丁目に当たる地区。08:30 三田2丁目交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第55回 】を歩き始める。



切絵図に「松平主殿頭(とのものかみ)」とあるのは、肥前国島原藩松平家(譜代)中屋敷。明治4年(1871年)慶應義塾は島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年 払い下げを受けた)、校舎を芝新銭座(現在の港区浜松町)から三田(現在の本部所在地)へ移転した。

慶應大学に隣接して「春日神社」がある。天徳2年(958年)藤原正房が武蔵国国司に任国の際、大和国奈良春日神社の御神霊を荏原三田邑(現在の目黒区三田)に勧請。天文年間(1532~55年)現在地に遷座したという。切絵図には「春日社」とある。



切絵図の松平主殿頭の北隣りに「松平隠岐守」とあるのは、伊予国松山藩久松家(親藩)中屋敷。元禄15年(1702年)吉良邸討入を遂げた赤穂浪士のうち大石主税等10名が松山藩中屋敷に預けられ、翌年この藩邸で自刃した。藩邸跡地にはイタリア大使館があり、大名庭園が残っている。



切絵図に「有馬中務大輔(なかつかさたいふ)」とあるのは、筑後国久留米藩有馬家(外様)上屋敷。文政元年(1818年)邸内に久留米水天宮の分社を建立、月に1回 町人に神社を開放して人気を博した。切絵図には邸地北西角に「⛩ 水天宮」とある。明治維新後に屋敷が移転したため、1872年 水天宮は現在地(中央区日本橋蛎殻町)へ遷座した。



「元神明宮(もとしんめいぐう)」を訪れる。社伝によると、寛弘2年(1005年)創建という。江戸時代に幕府から移転を迫られたが、遷座に反対する氏子達が御神体を護り、現在までこの地で祀られ続けている。切絵図には有馬中務大輔の西側に接して「元神明」とある。



切絵図に「織田出雲守」「島津淡路守」「松平肥後守」とあるのは、それぞれ 丹波国柏原(かいばら)藩織田家(外様 織田信長の孫である高長の系統の織田家)上屋敷・日向国佐土原(さどわら)藩島津家(外様)上屋敷・陸奥国会津藩松平家(親藩 幕末の藩主は松平容保)下屋敷。



現在 綱町三井倶楽部が占める敷地のうち、建物部分(1913年竣工 ジョサイア・コンドル設計)は佐土原上屋敷跡地、庭園部分は会津藩下屋敷跡地にある。切絵図の会津藩下屋敷東側に「綱坂」とあり、平安時代の武将 渡辺綱がこの付近で生まれた(出生地には諸説ある)という伝説に、坂名は由来する。09:30 三田綱町交番前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第55回 】はここで終わり。


三田2丁目交差点 → 三田綱町交番前 : 4.1 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 176.5 km )






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Last updated  2024.08.07 09:03:09
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