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カテゴリ:ばっちっこ
久しぶりの本文更新です。
ばっちっこ その15 翌日は月曜日だったが、俺は給食を食べた後、授業を抜け出した。昨日中止した荷造りの手伝いをするつもりだった。 中学校から響子のアパートまで、青梅街道をほんの歩いて10分である。俺の嫉妬心は夕べ家に帰ってからも収まらず、結局明け方まで平安な眠りが訪れることを妨げ続けた。だから午前中の授業はほとんどいびきをかくくらい熟睡していたかもしれない。教員たちは俺に対しては既に完全にあきらめていて、それこそ触らぬ神に崇りなしという感じで何も言わない。夜の睡眠不足を解消した気分がした。 しかしこの10分の間に再び嫉妬心が復活し、かつ、こんな嫉妬はあまりにも馬鹿馬鹿しい、俺には全く不似合いだという見事に自己中心的な、しかしいろいろな意味で平穏をもたらしてくれるであろう考え方も芽生えつつあった。 そうしてまだ暑い中たどりついたアパートはしかし空だった。引っ越しは午前中に済ませたらしい。であれば、教えてもらっている新しい住所まで出かけるだけだ。 十二社(じゅうにそう)から新宿御苑はそう近くはない。しかし学校帰りに家とは違う方向に歩いて行くとすれば、まあ、30分の距離だ。俺からすれば見慣れない風景の中を進んでいくわけだが、逆に風景の方からすれば見慣れない、学生ズボンをはいた若い男が晩夏の重い湿った空気を切り裂いて徘徊しているように見えただろう。その小一時間の間に、もしかしたらパトロンの磯田とかいう関西人と鉢合わせするかも知れないという想像が膨らんだ。その時は響子をくれてやろうという気持ちにだんだんなってきた。途中、新宿駅東口の二幸の前では駿台予備校のチラシを配っていた。9月末の日曜日に実施する模擬試験だという。学費もないので都立高校しか頭になかった俺には関係ない宣伝だった 「衣装以外は本当に大したものがないアパートから、やはり大したものが置いてない コーポラスに移ったわけだ」 俺は安心して意地の悪い言い方をした。磯田も、その配下もいなかったからだ。気が抜けたと表現すれば行きすぎで、俺はしっかり新しい2DKを観察した。4階の一番東側の部屋で、南は道路をはさんで新宿御苑が見事な借景になっている。兄が通っていた新宿高校が南西に少しだけ見える。南東には東京タワーがオレンジ色に輝いている。 無言で俺を見つめている響子の顔は一度にたくさんのことを考えすぎてしまって何を顔色として表現したらいいのか自分でもわからなくなっているに違いないがゆえに無表情になっていた。板張りになっている東南の6畳からベランダに出ると、小さな人影が新宿御苑の広い芝生を取り囲むように歩いているのが見える。湿度が高い。雨が来る前兆であることは間違いない。出てきた窓ではなく隣の4畳半から部屋に戻る。この部屋だけが畳敷きで、まだ青々した新畳の匂いがした。 「いい眺めじゃないか。御苑を独り占めできる。向こうからも見えるわけだけどね」 「あのね、昨日言い忘れちゃったんだけどね、3時間もするから、してくれるから、あたし、腰が抜けちゃったし、あごも外れそうになっちゃったから、お礼言うの、忘れちゃったんだけど、みーんな、のぶひこさま、の、おかげなの。ううん、ホント、のぶひこさまがいろいろ教えてくれるでしょ、原始共産制とか、DNAとか。それがさ、結構受けるのよね、サラリーマンのおじさんたちに、ね。それで、あたし、赤坂進出、できたわけ。だから、ね、のぶひこさまの教育のたまものなわけ。それに」 「なんだよ」 「妬いてくれるし」 そう言うと畳の上にトンビ座りをしていた響子の手が俺のズボンに延びてきた。 扇風機を頼りに二人で汗を乾かしていると、まるで新婚さんのようにかいがいしく俺の面倒を見ていた響子がふと立ちあがって 「ビール、飲もうか」 と言った。俺は、 「もう少し涼んでからでもいいよ」と後ろ姿に声をかけた。 もちろん俺は『新婚さん』が具体的にどんなものか知らない。だが、たとえばお互いにこんな気遣いを示しあうのが、『しあわせ』なのだろうかと感じた。俺と響子の間にそんなときが訪れるのだろうか、いや、もしかすると今だけ、いまこそがそれであり、もう俺たちにはこんな瞬間は用意されていないのではないかとふと思った。 ちゃぶ台が小さなテーブルに進化したダイニングキッチンで駿台予備校の模擬試験案内を響子が見つけてきた。ぜひ受けろという。俺がぐずっていると、折り目のない千円札を二枚、茶封筒に入れて持ってきた。 仕方がないので受けるだけは受けに行ったが、志望校の欄で手が止まってしまった。都立高校の名前を素直に書いても面白くない、麻布は募集なしと聞いていたので他の私立御三家にしようかと考えて、そう言えば住所と同時に電話番号を書かされたことを思い出し、俺の家には電話なんてものは端(はな)からないことと思いあわせると、誰かが間違って見つけてしまって誤解されるのもまずかろうと思う。そんな他愛もないことが頭の中を右や左に行き交う一方、周りの受験生たちがあまりにも悩みなく受験票を埋めていくのをぼんやりとみていた。係りの中年のおじさんが後列から順に回収に来たので、とっさに授業料が安いと思われる国立の男子校の番号を書いた。 試験のできはあまり良くなかった。5教科で440点を少し超える程度だろうと自己採点した。響子に正直に話すと、駿台はレベルが高いから結構いい線いってるかもしれないよと励ましてくれた。 3週間ほど経った10月下旬、選挙を経て俺の下の学年に生徒会長を譲った。校長はじめ教員たちは一様に朗らかな顔を取り戻した。学内に平穏が訪れたと言ってもいい。俺の存在がそんなに重荷だったのかと今更ながら苦々しく思った。俺はいつも正論しか吐いていなかったはずなのに。もちろん、その『正論』が大人の社会では通りにくいものであることは重々承知の上だ。教員たちと駆け引きを楽しみたかったのだが、入学式、それに例の最終決定権の『かまし』のせいで、生徒会担当顧問と教頭は俺の顔を見るたび、私は貝になりたい、何も見たくないし聞きたくない、と言い募った。俺はそのたびに、 「貝は貝でもほら吹き貝だろうが」 と言ってからかった。 その日の夕方、響子の部屋の鍵を回すと、なんだか恐いような微笑しているようなどっちつかずの顔をして出てきた。 「のぶひこさま、連絡先をあたしのうちにしたでしょ。電話、駿台の」 「俺んちに電話ないから」 「かかってきたの」 「悪いことはしてないよ」 「あした、成績を郵送するって」 「そんなことで電話してくるのかよ」 「一番ですって」 「ほお、俺が?」 「そうよ、あたしのわけないでしょ。すごいじゃない」 「悪いか」 「さすがぷろみっしんぐ東大。あたしが見込んだだけのことはある」 俺はまずは素直にうれしかった、響子が喜んでくれることが。しかし別におまえに見込んでもらって何かしてもらってるつもりはない、と言いたくなってきた。保護者気分になってもらっては困る。母親の無限に優しい表情がかすめた。もし俺にとって『保護者』なんてものがあるとすれば、それは母親を措いて他にはないと思っている。でもそんなことを言うほど俺も子供ではない。下を向いて黙っていた。6畳の洋室には中古と思しきソファーが据え付けられていた。クッションがへたりつつあるそいつに座ると、響子がキリンの大瓶を開けて持ってきた。 「カンパイ、ぷろみっしんぐ東大さん、サマ」 「なに言ってんだ。あんまり飲ますと5回が3回になるぞ」 「いいの、今日は。あたし、仕事、休んだし。今日は祝杯。だって、駿台の模試で一番なんて、絶対取れないし、あたし、現物の一番見たの初めてだし。あんたは、のぶひこさまはすごい」 「響子に勉強を褒められてもちっともうれしくないね。俺はあれをおまえの体で褒められるのが一番うれしいね」 「またあ、その話は次にして、そんでね、駿台から電話があってね」 「だから一番だってんだろ」 「うん、それでね、四谷の校舎で月水木と授業があるんですって。それにただでいいから来ないかって」 「奨学生、か」 「中学生よ」 「ばか、奨学金と同じことだろ、って言ったんだよ」 「あはは、そうだよね、小学生のわけ、ないか」 「もう酔っぱらってんのかよ」 「ねえ、近くにロシア料理屋があるの、行ってみない?」 ロシア料理がいかほどのものかは知らない。でも金、大丈夫かよ、と出かかったのを辛うじて飲み込んだ。中古とはいえソファも買ったらしいし、いや、買ったかもらったか知らないが、それでも響子が金回りに苦労しているようには見えなかったので、新宿方向へ歩いて5分ほどのところにあるペチカというあまりにもそれらしい名前の店に行った。 クアースというちょっと生ぬるいビールみたいな酒を飲み、更にコニャックと称するロシア産のブランデーを1本空けた。500mlで40度はあると見た。明らかに飲み過ぎなのだが、そのまま2次会に行くという。 「のぶひこさま、ジャズが好きでしょ、生演奏聞きたくない?」 響子がジャズに興味を持っていたはずはない。これはパトロンの趣味で、そのためにここ新宿御苑のそばが響子の住まいとして選ばれたのだろうと邪推する心をなだめながら、厚生年金会館のそばにあるライブハウスへふらふらになりながら歩いて行った。『J』という名前だった。 そこで、ベーシストに出会った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.11 22:50:10
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