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![]() 亡国のイージス(上) 著者:福井晴敏 出版社:講談社 とりあえず上巻を読み終えました。 北朝鮮のミサイルがぼんぼん飛んでいる中、非常にタイムリーな小説です。 ポリティカル・スリラーと位置づけるならば、トム・クランシーとの対比で考えると 主要人物のキャラクター付けのためのエピソードを描いた後、その糸を主要場面へと繋げていく手法には共通性を感じました。 でも、あまりにも早く繋がっていくので、正直「早っ!!」「薄っ!!」と思ってしまいました。様々なピースを描き、それら一つ一つが一緒になってきて徐々に全体像が浮かんでくるのがクランシーの魅力です。 その点を比べてしまったので、少し残念感を持ちつつ読み進めていくと、 「亡国のイージス」は単なる軍事サスペンスではないということに気付きました。 愛国心が当然の国であるアメリカで生まれたクランシー本は、ただ単に国家の脅威に対して闘っていく姿を著せばいいだけです。 当然、軍は軍として正常に機能することを描けばいい。 でも、教育基本法にあえて「愛国心」を盛り込むことを議論しなければならない、W-CUPなどでのプチ愛国心しか見えない日本においては、いちいち皆が悩みつつ行動する姿を描かなければならない。 「参政意欲のない、主権意識のきわめて希薄な国民」 「無思考、無責任、無節操」 「世界に通用する明確なロジックを持っていなかった」 「誰からも、自分自身からも信用されないし、尊敬もされない」 これらは、小説の中で、とある防衛大生の書いた「亡国の楯」という論文の抜粋です。 「国民一人一人が自分で考え、行動し、その結果については責任も持つこと。 それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして 打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示しうる」 これがこの論文の締めになるのではないかと思います。 「亡国の楯」は、ある意味青臭く、でも力のある理想論です。その理想論を軸にそれぞれの登場人物の思考や行動が交錯していきます。作者の福井氏がどんなスタンスなのかは最後まで読んでみないと分かりませんが、単なる理想論者なのではなく、現実を生きる強さを表現している主人公に思いを反映してるのではないかと思っております。 また「『亡国の楯』に掲げられた理想論は、物語に箔をつけるためのものにすぎない」なる批判を目にしたことがあります。「新人類と団塊ジュニアの狭間である福井氏はそうではない」と同年代である私は信じていたいと思います。 「敷衍」という言葉は初めて知りました。読み方が分かりません。「衍」は「エン はびこ(る) し(く)」と読むようです。「敷衍」は、「敷き詰め衍る」という意味なのでしょうか? 文字や言葉を知ることが、自身の世界観を拡げるという話があります。 読書によって、また少し拡がりました。 あと78冊です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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読んでますね~~~。
宮地さんの息子さんの書いた「亡国の楯」という論文は私には正直難しいです。 「無思考、無責任、無節操」 なのかな?今の日本の思想は? 平凡な日々と平和な日々を求めてそれなりに個々努力していると思うんだけど。。。 北朝鮮の挑発的なミサイルの放射。不安に思いながらも日本海沖の話だから・・・とどこか他人事である自分がいます。普段の生活に変化は無く、TVに中での情報を『何考えてるんだろ?』なんて客観的にしかみてません。。。 目に前に危機がおとずれないと自分のことだと受け入れられないのは「無思考、無責任、無節操」なことなのかな? 私も只今下巻読んでます! (Jul 8, 2006 12:12:15 AM)
ぴーすっ子さん 書き込み有難うございます。
私にとっての参政権とは、 自分自身が立候補するか他人に投じるかの二者択一です。 誰にも票を投じないのなら自分が候補者になるべき。 そこまで覚悟して選挙に臨まないことこそが、参政権の放棄だと思っています。 私は、絶対に政治家にはなりません。 だからこそ、真剣に選挙に臨みます。 それこそが主権者足るべき姿というのが、私のスタンスです。 (Jul 8, 2006 03:13:22 AM)
宮津副長以下、クルーの取った行動は現実にはありえないと思いながら、真田広之の名演に見入っていました。
丁度「ラスト・サムライ」を見たところだったので、円熟の演技をまた見せていただきました。今年47歳になるんですね。 しかしながら、日本は一度滅びなければ良くならないというのは分からないでもないですが、人命を犠牲にするのはやはりおかしいと思いました。 真田広之が、如月に言った 「実戦は理解しているかもしれないが、人間を理解していない!」 が一番心に残りました。 (Jul 8, 2006 11:18:32 AM)
バヌアツのカラテマスターさん 書き込み有難うございます。
>宮津副長以下、クルーの取った行動は現実にはありえない 小説では、人物描写がより詳細になっているため、行動の不可解さは少なくなっています。 映画では時間の制約があるので、端折ると共により理解しやすい設定になっていました。 >「実戦は理解しているかもしれないが、人間を理解していない!」が一番心に残りました。 そのあたりが、この物語の真髄に近い部分なのではないかと思います。 (Jul 8, 2006 02:16:55 PM) |