どちらにも感じるこの違和感の正体が少しわかってきた。
現憲法を否定して軍国主義を求めているような人たちが、一方では学校現場の体罰(っていう言い方がすべてではないと思うけど)を目の敵にして、この数か月吊るし上げのようなことが行われているのは片腹痛い。
どちらも極端すぎる気がする。
そもそも軍隊にいじめ・体罰はつきものだったはず。そして戦後の平和な時代にもいじめはあり、その指導の場面で時には体罰も使われてきた...となんだかわけがわからなくなる(笑)が、先生の「誰かがやるかもしれない」...という実際にはやらなくても体罰的な威嚇が、生徒への抑止力になってきたのは中学校の生活指導では絶対的な事実だった。
もうこの20年は「体罰をしたら訴えられて処分の可能性大」...とわかっていても、緊急時には体を張って勝負していく体育教師(例)とかが学校を支えてきたし、そういう人たちが管理職にちょうどなっている時期に「とにかく暴力した人みんな一律にダメで処分します」っていうのもなんだかなあ。
正直、部活動に暴力は必要ないと思う。変な言い方だが、暴力でつくった厳しさでチーム強くするのはたぶん簡単で、でもそういうのは多くの人が嫌だと思っていてやらずに、他のことで工夫しているんだと思う。だからスポーツ界が理論とか信頼とかで発展していくのは全然否定しないし、女子柔道界とかは全面的に選手を支持するんだけど、ことが生活指導の話になると何かがひっかかる。別物?ってことなのか、単に自分がそっちでは必要と「楽するため」に思ってきたのか...。
と言いつつ、教諭とか講師とかいろいろな立場で関わって26年目、最初の10年くらいは毎時間の授業で忘れ物の数だけ中指の爪側でのデコピン(下関で言う所のチャンチュウ)、3回連続で忘れると両手を使っての中指の腹でのデコピン(下関で言う所のチャンミュウの方)で数時間おでこは真っ赤...どちらかというとお互いに笑いネタにしながらやっていたけど、「私はこれでクビになりました」という笑い話にするために「ぜひ苦情は市の教育委員会に」とそんなことするやついるわけないという自信からか、当時はまったく悪びれていなかった。
今になって思えば、ちょっとやりすぎ(笑)かと思うけど、その後も何かにつけて、そんなに本気で怒るほどじゃないようなことについては、デコピン1発コースか、放課後10分説教コースを選んでよい...といういい加減なことをやっていた(笑)ちなみに説教コースを選んだ人は過去に一人しかいない。大したネタじゃないのに10分もしゃべるのは大変だった。
で、もちろん体罰ってそういうことが問題になっているんじゃないんだろうけど、最近、教委からこれは体罰、これは仕方がない...みたいな例が文章化されて出されて、もうそれを見てたらあほらしくなってきた。
たとえば...体罰ではない例。「暴れて他の生徒に危害を加えようとしている生徒を羽交い絞めにした、あるいは壁に押し付けた」 .........いやあ、そんなの体罰じゃないのは誰でも知っているけど(笑)、そんなんで、とめられるとお偉いさんは本気で思っているのかな...。切れて暴れている人は、力が普通より出ているから、それを普通に一人でとめられる人はそういないと思う。
自分と同じ位の体格の切れた生徒が、他の生徒をなぐりに行くのを止めようとした時に、がっぷり四つの状態で渡り廊下を50mくらい押し込まれた時がある。結局、こっちも「いい加減にしろ」と怒って、押し倒すしかなくなったのだが、そんなこといばっていうことじゃないかもしれないが、大外刈りとかで足をひっかけて「とにかく寝せて押さえつける」のは基本中の基本だ。今なら、これも体罰なわけだ。
ちなみに某H中の生活指導部の先生のよくあるやり方は「何やってるんだ」って走りこんできた先生が、接触するときには偶然ひざが太ももにあたったり、頭がぶつかってしまったり...いや、このあたりのことは忘れよう...。
自分に向かってハサミを構えたやつ...とか、構えなかったけどナイフを常備していたヤツに出させてテーブルの上に置いたまま説得する...とかそういう場面も経験した。もちろん、そういうことが起きないように「予防的な生活指導」で生徒も教員も楽しくすごせる学校になっていればそんなことを考える必要もないのだろうが、伝統的に大変な学校とかでは、今年すでに「どうせ殴れないんだろう!?」と一気に調子に乗ったグループが手が付けられなくなったという話も聞いた。
とにかくこの数十年、本当に必要な時に処分も顧みずに体を張って、みんなの学校生活や教員の身を守ってきてくれたような人たち(ちなみに俺は違うんだけどw)が、一気に全面否定されているような空気が何か気に食わない。ある意味、極端な、ファッショな感じを逆に「暴力的に」感じるのだ。
某Y中で仲の良かったサッカー部の先生は、部員が日常の学校生活で道を外すと正義の鉄槌をすぐにやってしまうのだが、問題になりそうになっても先に他の保護者が動いて「あの先生のありがたさがあなたたち親子にもいずれわかるから、このことは穏便に...」と説得していたらしい。当の本人は全然知らずに離任の時に「よく俺、一度も問題にされなかったなあ」とつぶやいて、「私たちがどれだけ火を消して回ったと思ってるのよ!」と中心のお母さんに怒られたそうだが(笑)、隣の野球部の私が知っているのに本人は知らないっておもしろいなあ。「本気でぶち当たる」ってそういうことなんだと思う。昔で言うと「われら青春」とか「飛び出せ、青春」みたいな先生...ちょっとほめすぎか。
ちなみにご本人は今は管理職なので、心を痛めながら今回の「この一年、何か思い当たる体罰はありませんか調査」を教員相手にやったらしい。彼もいい時に偉くなった。
で、まあよくわからないけど、そういう熱血指導の先生が誰もいなくなったような学校って、果たして成り立つのだろうか? 基本的には私は暴力反対だ。やることもあったけど...。でも自分が子どものころのような、何でもかんでも先生はすぐ殴るし、人違いとか誤解があって殴ってもあやまりもしない...ような時代とはすでにもう違ったはず。今騒いでいる大人たちは、その何でもかんでもやられちゃった世代の人たちで、学校不信が先にあり、今の学校の様子と全然状況が違うことに気がついていないんだろうなあ...とも思う。
で、自分の結論として、そうした指導がありかなしかを論じるよりも、とりあえず「1クラス35人学級」を全国でやってみて欲しい。たったそれだけでも、いじめを減らして、学力を向上させて、非行を減らして、ひいては教員の暴力とか信用失墜行為が減るのに一定の効果があると思う。それで学校の教諭の人数が増えるなら、少しゆとりもできて、授業研究ができて、わかる授業が増えて、ぐれる人がへって...どう考えても予算がかかる以外にはマイナス面がないのになぜやらないんだろう。たぶん難しいことをああだこうだやるよりも、手っ取り早いんだけどなあ...。
もしかして、今の教師の手による学校というものを破壊して、政治家が警備の人(お巡りさんとか軍人とか)を使って「教育委員会を廃して自分たちが直接支配」していくためのシステムをつくろうとしているのか...とか、そんな壮大な罠が始まって、国民が踊らされているのだろうか?
少なくとも、人が公民の授業で憲法の平和理念を一生懸命生徒に伝えている時に、自分の雇い主のトップ(もう変わったけど)が憲法そのものを否定する(その憲法にもとづいた選挙で自分が権力を得ているにもかかわらず)ような矛盾を感じ始めた昨今、もう自分が教育現場にいられなくなる日がそう遠くないかもしれないなあ...淘汰されるんだろうなあ...と思うようになった。
そういいながらも今はまだ各校からひっぱりだこの講師(笑)ですが...。ちなみに、私が今年関わっている2校は、「みんながこうだったら日本も平和なのになあ...」といううれしい状況で、10年前くらいまでの前半苦労した分、ごほうびをもらっているような気分である。
そうそう、もともとたいして人の目に触れていないブログだから炎上とかしないと思うけど、この件について人と論争する気は全くかけらもないので、「なるほど」って思わない人はほっといてください。
ただし、生徒として恨みがある人は、気にせずに毒を吐いてください(笑) 過去に三人ぐらい、飲み会で「あの件は、うらんでいたけどもう許す」って言われたことがあります(爆) やっぱり暴力だめじゃん!
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