・・という質問自体がワタシのようなプロレタリアにはおまんま食うためじゃ、舐めてんじゃえ。と思えますが、もし衣食住そこそこ心配ない家に生まれて女の幸せはいい男と結婚して食べさせてもらうことよ~なんて親に育てられたり、家がお金持ちで一生スネかじって生きて行けそうだったら、働かなくて生きてけるなら働かなくてもいいじゃん?なんて考えもうまれることでしょう。
お金のため働くというのが最大の理由のワタシにだって働く理由はそれだけじゃないよなぁ、とも。漠然と思いつつ、じゃなんで?というスッキリとした説明ができずにいました。
働いているからこそお休みがうれしい。
お金のために働いていても人の役に立っているという実感が得られたらもっと頑張ろうと思う。
で、2008年の日経ウーマンの坂東眞理子さんの記事にこんな文章を見つけておぉ、そうだ!
ワタシが思っていたことはこういうことだったんだ!
と思ったのでメモっときます。
『仕事を通して初めて人間は自分の力とその限界に向き合う。仕事をしないで”好きなこと”だけをしていては自分自身に何ができるか、出来ないかわからずじまいで終わる。いい夫に恵まれるとか、よい子供に恵まれるとか、出会いの”運”に左右される人生は空しい。』
人に左右される人生は空しいから人は働くんです。
自分の可能性を模索するために働くんです。
そういうことよねー。
あぁ、何だかスッキリ。
まぁ、ワタシの場合理由があってもなくても働かなきゃいけないんだけれどもさ。
。。で、なぜ2008年の日経ウーマンかというと、さすがに2010年前の雑誌は処分しようと処分前に一冊ずつ読んでたりするためです。
日経ウーマンとか、今は亡きコスモポリタンとか、読み応えあるしなかなか捨てられないのよねぇ。
今日なんと1995年のコスモポリタン見直してたんだけど、本田美奈子とか(本田美奈子。の前ね)まだバネッサにめろめろのジョニデとかのインタビュー出てて・・
もしや売ったら価値があるのかしら?とかちらと思ったりするけれど、こっちから配送するんじゃ配送料のほうがかかるし。
でもここまで古いと本当に捨てにくい・・。
どうしよ?