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カテゴリ:文芸
目から鱗が落ちる記述が目白押し。
村上さんと翻訳家の柴田元之さんとの対談を軸に構成された一冊ですが、 同じ英文を、2人がそれぞれどのように訳したかを対比してみたり、 明治時代の翻訳文を例示し、その変遷について論考してみたりもしています。 その中で、村上さんが『風の歌を聴け』の冒頭を、まず英語で書き始めたとか、 二葉亭四迷が『浮雲』第2編を書き始めたとき、ロシア語で書いてみたとか、 こういうエピソードがサラッと紹介されると、その語学力に圧倒されてしまいます。 そして、「翻訳」というものの奥深さを、より思い知らされることになりました。 *** 僕が翻訳するときはまず、英語から日本語に訳し、 それを何度かチェックして、合っているかどうか確かめて、 ある段階で英語を隠して、日本語を自分の文章だと思って直していくんです。 固い言葉があると少しずつ開いていく。 だからどうしても柴田さんの訳より、僕の方が長くなっちゃう。(p.122) なるほどです。 と言いながらも、こんな発言も見られます。 翻訳というものは、日本語として自然なものにしようとは思わない方がいいと、 いつも思っているんです。 翻訳には翻訳の文体があるわけじゃないですか。(p.181) だから、村上さん自身の小説と翻訳作品とでは、読んでいる時の印象が違うんですね。 しかし、いずれにおいても、スッキリとして頭に入ってきやすい文体だと思います。 翻訳のコツは2回読ませないことで、 わからなくて遡って読ませるようじゃ駄目だと僕は思っていて、 2回読ませないということを1番の目的にして訳しているところはある。 だからこういうとき、カッコに頼りがちになる。 でももう少し上手いやり方があったかもしれない。(p.129) これには、本当に感心させられました。 このことについては、p.492にも柴田さんとのやりとりが掲載されています。 1度読めば、ちゃんと分かる文章。 私も、心がけたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.23 11:27:22
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