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カテゴリ:国内旅行365
こんにちは。
少し間が空きましたが、本日も、最新刊「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」からのネタです。
神奈川県には、中世に栄えた鎌倉や小田原などの都市のほかにも、近代の歴史に触れることができる施設が数多くあります。
特に、横須賀は、かつて日本海軍の鎮守府が置かれた場所です。ちなみに、鎮守府とは、日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関。横須賀のほかに、呉や佐世保、舞鶴にも鎮守府があり、これらは旧軍港四市とも呼ばれているらしい。
…ということで、今回、ご紹介するのは、第5章の『 壮大な海軍遺産とスタンド・バイ・ミーの気分が味わえる三浦半島の旅 神奈川県横須賀市 』
今も、海上自衛隊横須賀地方隊が配備され、旧海軍時代の海軍遺産も数多く残っているのですよ。今回は、それらを中心にご紹介しようか、と。
諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。
それでも、普通のブログの記事としては多いかも。
すべての記事は、こちらですよ。
是非、本書もご覧いただければ幸いです。
1.自衛隊の艦船が見える港
今回は、首都圏に住む人たちのオアシスとなっている三浦半島を巡ります。
参考にしたのは、かなり前に、京浜急行の駅でゲッツしたウォーキングマップです。三浦半島のさまざまなウォーキングコースを紹介したマップですが、観光ボランティアガイドが足で調べたと銘打つだけあって、面白い切り口で楽しめました。
たとえば今回紹介する三浦半島の海軍遺産。
京急田浦という小さな駅から歩くのですが、普通の観光ガイドブックではスルーされている場所がたくさん記載されているのですよ。地図で見ても、大きな公園があるわけでもなく、白い砂浜が広がる海水浴場が近くにあるわけでもない。それでも、少し視点を変えて歩けば、なかなか味のあるウォーキングができるのですな。
ただ、「建造物の歴史的な背景を考える」などテーマに沿って歩かないと、たんに古い工場が並んでいるだけと首を傾げることになるかもしれませんが…。
ウォーキングのスタートは、京浜急行田浦駅。
昭和を感じさせる商店街をテクテク歩き、地図のルートに沿って海を目指します。長浦湾と呼ばれる入り江に立つと、近くに自衛隊の艦船が停泊しているのが見えました。
地図で調べると、海上自衛隊自衛艦隊司令部とあります。このあたりは、旧日本海軍の施設があった場所らしいですから、自衛隊の施設にも引き継がれたのでしょうか。
2.今も工場の施設として利用される旧海軍の建造物
海に面して、古い建物が並ぶ工場がありました。
マップの解説によると、現在、大手電機メーカーの関連会社の工場のあるこの周辺は、明治19年から昭和20年まで、旧海軍工廠造兵部が置かれていたらしい。昭和10年代には、3万人を超える職工さんが働いていたそうですね。
残念ながら工場の中には入れませんでしたが、塀の外から重厚な建物群を眺めることができました。
たとえばこの建物は、旧海軍工廠造兵部本館。大正2年に竣工し、関東大震災にも倒壊しなかったのだとか。
ほかにも、機銃工場や発電工場など、旧海軍の建造物が数多く残されています。それにしても、現在も工場の施設として利用されているのはすごいですね。
ただ、かつて巨大な鉄骨で、圧倒的な存在感のあったガントリークレーンは撤去されていました。
とりあえず、当時の写真をアップさせていただきます。
3.三浦半島に、かつて水雷技術を習得するための学校があった
国道16号に出て船越トンネルを抜け、横道をJR田浦駅方面に歩く途中にも古い建物が並んでいて当時の雰囲気が味わえます。
テクテク歩き続けると、やがて左手に見えてくるのは海上自衛隊第二術科学校。堀に囲まれた校内も、きっと旧海軍の施設だったのかなと思ったら、やっぱりここはかつて、海軍の水雷学校があったところらしい。
水雷学校という学校があったことをはじめて知りましたが、機雷や魚雷、通信技術を身につけるための軍事教育学校だったそうですね。
道の脇に 「海軍通信教育発祥記念碑」が立っていました。
当時は、水雷の通信講座があるのかと思ったら、これは明治34年に、無線通信術の教育を初めて行ったのを記念したものだそうです。
4.古い日本映画に登場するような倉庫がある
そこから道なりに歩いてゆくと、現在、左手に病院や倉庫が立ち並んでいるあたりは、海軍の軍需部があったらしい。
海軍の軍需部は、砲弾や魚雷など軍艦に使う兵器や燃料、食料、被服といった一切の軍需物資を集めて保管し、軍艦などに補給する役目を担っていた、とお散歩マップには書かれていました。
この長浦港の岸壁に沿った倉庫群は長浦倉庫と呼ばれ、当時、主に兵器庫があったとか。
そのままの形で現在も残っているのは、今も自衛隊及び民間企業によって今も倉庫として利用されているからでしょうね。ちなみに、この古いレンガ造りの倉庫は食料庫だったらしい。
終戦後の古い日本映画には、GIさんたちがこのような建物の前にたむろしているシーンがあったような記憶があります。
5.明治・大正・昭和に建造されたトンネルが見える駅
終戦直後の占領下の日本の風景をイメージしながら、近くにあるJR田浦駅へ寄り道してみました。
首都圏のすぐ近くにある駅とは思えないほどひなびた駅なのですが、歴史は古く、開設は明治37年だそうですね。
この駅が珍しいのは、駅のホームが二つのトンネルに挟まれていること。何でも、11両編成の電車ではホームに止まりきれないため、ドアが開かない車両があるらしい。
横須賀方面に見える七釜トンネルは、明治・大正・昭和にそれぞれ建造されたトンネルが三つ並んでいます。
中央のトンネルが一番古くて、横須賀線開通にともない明治22年に完成し、その後複線化によって大正13年に増設。
そして一番大きいトンネルが、昭和18年に軍需輸送の引き込み線用として造られたのだとか。明治、大正、昭和ときたら、令和は地下鉄化して技術力の進歩を誇示すべきなのかなと考えました。
6.倉庫群の中を縦横無尽に走る廃線
JR田浦駅を離れ、再び倉庫群の道へ戻りました。
しばらく行くと、道の左側に線路が走っているのが目に留まります。
(以下、「おもしろ歴史ウォーキング 神奈川編」に続く)
このあと、旧海軍軍需部倉庫から港まで網の目のように覆っていた線路の複雑な形に驚きました。
心霊スポットと言われるトンネルの中に残る何かを塞いだ跡も、あとで調べてみるとその理由が納得できましたね。
ほかにも、移転してしまう横浜DeNAベイスターズの練習場や自衛隊や米軍の艦船が一望できる公園など、見どころは目白押し。
神奈川の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。
(参考) 目次より 第1章 幕末の日本が震撼! 黒船が襲来した三浦半島・浦賀と当時の面影を残す浦賀道 神奈川県横須賀市
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最終更新日
2019年10月14日 12時34分40秒
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