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ビジネス便利屋兼ライター 永嶋信晴のブログ

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2020年07月04日
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カテゴリ:国内旅行365

こんにちは。

 

今回は、「​​おもしろ歴史ウォーキング 東京編​​​」からのネタです。




 

「東京編」は、歴史ウォーキングシリーズの第1作ですが、まだご紹介していない章がありました。

 

それは、第9章の『 東京23区は、緑が増殖中!神田川近くの魅力的な公園めぐり 杉並区・世田谷区 』

 

諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。

 

すべての記事は、​こちら​ですよ。

 

是非、本書もご覧いただければ幸いです。

 

ちなみに記事は、20187月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 

 

 

1.意外と緑が多い東京23

 

一般に、東京23区は、高層ビルや住宅、アパート、町工場が混然としたカオスの街だと思われがちです。確かに、昭和の頃は、小さな家がごちゃごちゃと建ち並び、町工場が大きな音を立てて操業していた風景を覚えています。

 

ただ、最近の東京を歩いて感じるのは、意外に緑が多いということ。そう思うようになったのは、ここ十年くらいですかね。都心の再開発が進み、高層ビルがどんどん増えていますが、街が上に伸びるのに比例して地面の隙間が広くなっているのです。その空いた空間に木や草が植えられているのですな。

 

今回歩くのは、昔と比べると劇的に触れ合える緑が増えている場所ですが、意外と上には伸びていないのですよ。それはなぜか。その理由を体感すべく、真夏の猛暑の中、出かけることにしました。

 

2.芸術家と文化人の街だった永福町

 

ウォーキングのスタートは、京王井の頭線の永福町駅。井の頭線は、吉祥寺や下北沢などへ行くとき利用しますが、この駅で降りた記憶はないような。

 

改札口を出ると、『冬の像』と名付けられた彫刻がありました。



 かつて、この近くに住んでいた彫刻家の佐藤忠良の作品らしい。モデルは弟子の彫刻家なのですか。

 

彫刻の近くのパネルには、かつてこの周辺に、多くの画家や彫刻家のアトリエがあったと書かれていました。また、国木田独歩の次男で榎本武揚の孫にあたる彫刻家の佐土哲二や千田是也、森光子、池部良などの俳優、文学者の佐藤朔や中井英夫もこの周辺に住んでいたらしい。ちなみに、私が知っている名前の勝敗は、5勝3敗でしたね。



それはともかく、この周辺に有名な芸術家や文化人が居住していたのは、それだけの魅力があったのでしょう。その理由にも触れてみようと、永福町駅の北口から歩き始めます。

 

3.将軍手植えの松と駅と町名の由来になったお寺

 

住宅街をテクテク歩き、まず向かったのは、和泉熊野神社。



 熊野と言えば和歌山県ですな。解説板によれば、この神社は鎌倉時代の創建で、紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが始まりらしい。その後、後北条氏や徳川将軍家とのかかわりも伝えられているそうですね。境内の松の大木は、徳川家光が鷹狩りの休息の際、手植えしたものだと言われておりまする。

 

そう思ってみると、確かに松から後光がさしているように感じられるのでした。

 

和泉熊野神社を出て、近くを流れる神田川に沿って歩きます。



 ここまで来ると、神田川もかぐや姫のヒット曲の雰囲気と違います。もっとも、新宿区のあたりの神田川も、今はセレブな景観になっていますが…。

 

神田川から離れた住宅街の中にあるのが、永福稲荷神社。



解説板には、享禄3(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、近くにある永福寺境内の鎮守として、伊勢外宮より豊受大神を勧請したと書かれていました。明治維新後、永福寺から分離して今日に至っているとか。

 

 永福寺とは、もしかして永福町駅と町名の由来になったお寺かも、と思って歩いていると、道に「永福寺」と書かれた石柱が…。



 当初のウォーキングコースから外れますが、足を延ばしてみることにします。そこからお寺までは住宅街の道をかなり歩きました。おそらく、石柱から現在のお寺までの広大なスペースは、かつての境内だったのでしょうね。



 門や本堂はコンクリート造りですが、駅名の由来になったお寺の威厳は感じられました。



本尊は十一面観音像で、脇の不動、毘沙門両像とともに、鎌倉時代の仏師快慶が制作したと伝えられているそうです。ちなみに、開創は大永2年(1522)と言われているらしい。



今は住宅街の中に埋もれるようにあるお寺ですが、現在、永福町駅を利用している人は、このお寺のことを知っているのかなと思いました。


4.新品感が半端ない下高井戸おおぞら公園

 

再び神田川に戻り、川沿いの遊歩道を上流に向けて歩きます。やがて左手に、広々とした公園が見えてきました。



 今から何十年も前に、下高井戸周辺に来たことがありますが、こんな広い公園があったのは記憶にないですな。下高井戸おおぞら公園という表示があります。

 

それにしても、この広さと新品感は半端ないっす。後で調べてみたら、ここにはかつて東京電力の総合グラウンドがあったのですか。当時は、野球場やテニスコートなどがあったらしい。



東日本大震災の際発生した福島第一原子力発電所の事故の後、杉並区にこの土地が売却されたのですね。その後、暫定的に「遊び場」として運用され、20174月に再整備されて開園されたとのこと。

 

新しい公園はきれいで清潔感があるけれど、木々が若すぎて木陰が全くと言っていいほどありませぬ。もう少し涼しくなったらまた訪れてみようと思いました。

 

神田川の遊歩道をさらに歩いていくと、鎌倉橋の解説板が立つ橋がありました。



 鎌倉街道にかかる橋で、鎌倉から室町時代の人々がよく利用したらしい。今は何の変哲もない橋ですが、歴史を知ると見るポイントが変わって面白い。



 

5.いきなり登場する縄文人に驚く塚山公園

 

鎌倉橋のすぐ近くにあるのが塚山公園。



 旧街道、川、丘の三点セットがあると城ヲタクとしては城跡をイメージしてしまいます。ただ、この高低差では城や砦は無理でしょうね。

 

その代わり、この公園には歴史ファンが喜ぶ遺跡があるのでした。それは、縄文時代中期の住居跡20軒が発掘された環状集落の跡。それは、塚山遺跡と呼ばれているのですか。



 

(以下、「​おもしろ歴史ウォーキング 東京編​」に続く)

 

 このあと、いきなり登場する縄文人に度肝を抜かれます。

 

塚山公園の近くにある柏の宮公園や三井の森公園は、どちらもセレブな雰囲気が漂っていました。前身が、大企業のグラウンドということもあるのか、よく手入れされた緑が美しい。

 

最後に向かったのは将軍池公園。



 ネーミングから、徳川将軍家に由来するのかと思いました。

 

しかし、意外なネーミングの由来にビックリ!

 

東京の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、​​こちら​​をご覧いただければ幸いです。

 

​​おもしろ歴史ウォーキング 東京編​​」



 

第9章 東京23区は、緑が増殖中!神田川近くの魅力的な公園めぐり 杉並区・世田谷区 
1.意外と緑が多い東京23
2.芸術家と文化人の街だった永福町
3.将軍手植えの松と駅と町名の由来になったお寺
4.新品感が半端ない下高井戸おおぞら公園
5.いきなり登場する縄文人に驚く塚山公園
6.手つかずの自然なのにセレブな雰囲気が漂う三井の森公園
7.2代将軍のガチョウ?に出会える将軍池公園

 






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最終更新日  2020年07月04日 14時00分02秒
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