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ビジネス便利屋兼ライター 永嶋信晴のブログ

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2021年01月01日
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カテゴリ:国内旅行365


 こんにちは。

 

今年最初の記事は、新刊 「​​​おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編​​​​​​」からのネタです。

 

今回ご紹介するのは、第6章の『 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市 』。

 

お正月は毎年、初詣へ出かけるのはもちろん、戦国時代の城跡にも初詣に出かけるのですよ。

 

しかし、コロナ禍の今年は、遠出ができませぬ。

 

でも、新年に「山中城」の記事をアップすることで、出かけた気分を味わうことができました。



諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。

 

すべての記事は、​​こちら​​ですよ。

 

是非、本書もご覧いただければ幸いです。

 

ちなみに記事は、20184月に行った時のもの。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。 

 

 

1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城

 

 今回も、山中城を巡ります。

 

前回の岱崎出丸と合わせ、1つの城を紹介するのに2つの章に分けたのは、それだけ見どころが盛りだくさんだからです。

 

 などとグダグダ書いていると、本章だけでは終わらなくなるのでサクサク行きましょう。

 

 山中城の本城部分の入り口では、「国指定史跡 日本百名城」の看板が、威厳を持って出迎えてくれました。



 ここは、三の丸があった場所で、そこから細く伸びた小道を登ります。



 左手には、三の丸の堀。



今も迫力がありますが、往時は深さ8メートル、幅は最大30メートル、長さは180メートルもあったらしい。解説板には、自然の谷を活用し、中央に縦の畝を設けて二重堀にしていると書かれていました。

 

さらに進むと、田尻の池と呼ばれる池があります。



水が濁っていて、人が飲むにはかなり勇気が要りそう。

 

…と思ったら、この池は、西側に馬舎があったと伝えられていることから、軍馬の飲料水として使用されていたそうです。当時は、もっと澄んでいたかもしれませんが…。

 

築城時の池の面積は、148平方メートルで、あふれた水は三の丸堀に流れていたのですか。

 

 前回も書きましたが、ここ三の丸は、岱崎出丸とともに、豊臣方の大軍と激戦が行われた場所。

 

 北条方は苛烈に抗戦し、豊臣方の一柳直末など多くの武将を討ち取りました。しかし、圧倒的な戦力差を覆すことができず、半日で落城。北条方の城将松田康長や副将間宮康俊をはじめ、多くの武将や城兵が討死してしまったとのこと。

 

 これだけ鉄壁の城を作ったのに、半日で落城ですか。

 

以前訪れた、同じ北条の城である韮山城は、豊臣の大軍に包囲されても百日間持ちこたえたと聞きました。

 

その違いについて、考えながら歩いてみようか、と…。

 

2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀

 

 いきなり本丸へ向かうこともできますが、楽しみは後にとっておこうと、まずは西の丸へ向かいます。



西の丸は、山中城の西側の前線基地の位置付けですね。ここを破られると、敵兵が一気に城の中心部に雪崩れ込んで来ます。だから西の丸の周りには、特に厳重に堀が巡らされていました。



これまで、関東の山城を数多く眺めてきましたが、この特異な景観には驚きます。他の城ではあまりお目にかかれないビジュアルですな。

 

これは、山中城最大の特徴と言われている畝堀。



畝掘は、五本の畝によって区画され、畝の高さは約2メートル。西の丸へ侵入しようと思ったら、約9メートルもの土塁をよじ登らなればならないのですよ。

 

畝掘は、岱崎出丸でも見ることができました。

 

そして、西の丸の障子掘。



 障子堀とは、中央に太く長い畝を置いて、そこから交互に両側の曲輪に向かって畝を出して、障子の桟のように区画された堀です。

 

言葉で伝えようとしても、なかなかイメージできないかもしれませんが、写真を見れば一目瞭然。これを見るために、三島へ来たと言っても過言ではありませぬ。 


 

これまでも「おもしろ歴史ウォーキング」シリーズで、何度も関東の城を紹介してきました。ただ、どんなに工夫しても、写真では、空堀や土塁の見事さを伝えるのは難しいと感じていたのです。

 

石垣はインスタ映えしますが、空堀は、写真にすると迫力やその美しさが伝えづらいのですよ。

 

しかし、山中城の障子堀は、写真のインパクトにおいて、石垣に負けません。障子堀は、土の城の魅力を伝えるために、北條氏が発明したのではないかと考えてしまいます。



 ところで、山中城は、なぜこんな独特の形の堀を作ったのか。

 

 一般に言われているのは、堀底にいる敵兵の横移動を阻害することで、土塁上からの攻撃をしやすくする効果です。

 

 ただ、畝が太めなので、堀にかかる土橋に見えないこともない。畝が城への侵入経路になったり、畝の上から敵兵が攻撃したりすることもできそうですが…。



 畝堀や障子堀には、籠城の際に、水を貯めておく用水池としての効果もあったそうです。

 

 山中城は、半日で陥落してしまったので、防御面としても、用水池としても、その効果を発揮できなかったのですか。

 

3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸

 

 山中城最大の見どころである畝堀と障子堀を堪能した後、いよいよ土橋を渡って西の丸へ攻め込みます。



西の丸は、面積約3400平方メートルの広々とした曲輪ですが、発掘調査の結果、建物の遺構は確認されなかったとのこと。解説板には、この地の開墾耕作で攪乱された可能性が強く、もしあったとしても臨時の小屋程度のものであろうとありました。



その後の秀吉や家康時代の城郭の西の丸には、御殿など立派な建物がありましたが、この時代は更地ですかね。秀吉の小田原征伐の際は、当然、この曲輪にも大勢の兵が詰めていたはず。

 

現代で言う、キャンプのような感じで、この曲輪に籠っていたのかも。

 

 別の解説板には、西端に盛土して見張り台を構築し、全体に東側へ傾斜させることで、雨が降ったときには溜池へ排水する構造だと書かれていました。

 

見張り台の標高は、約580メートル。眼下に、他の曲輪を見下ろすことができ、連絡、通報上の重要な拠点だったそうです。


 

西の丸と二の丸の間に位置するのが元西櫓跡という曲輪で、面積は約640平方メートル。

 ここからは、5.4メートル×7メートルの柱穴が検出され、掘立柱の物置程度の建物があったらしい。

 

ただ、この曲輪からも、日常生活用具である炊事道具や椀類が出土しておらず、寝小屋は別の場所にあったと考えられるのだとか。

 

4千人と言われる城兵が、屋根のある場所で寝泊まりするには、かなりの数と大きさの小屋が必要だったはず。

 

兵たちの多くは、城内で露営していたのでしょうか。
 

 

4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸

 

 次に向かったのは、二の丸。いよいよ山中城の中心部へ攻め込んでいきますよ。

 

元西櫓と二の丸の間の堀には、橋脚台と柱穴が検出されたということで、架け橋が復元されていました。



架け橋の先にある二の丸の虎口は、当然、厳重な防御が施されています。敵兵は、正面の4.5メートルの高さの大土塁に突き当ってから、右折して曲輪に入る形になっていたとのこと。



土塁の上に立つと、架け橋が丸見えで、矢や鉄砲で敵を狙うには絶好のロケーションだとわかります。堀も深く、城兵によって架け橋が落とされてしまったら、堀底から攻撃するのはかなり骨が折れるでしょうね。



二の丸は、東西に延びる尾根を切って作られた曲輪で、山中城最大の面積を誇っていたらしい。本丸が狭いので、その機能を分担していたと考えられるそうです。

 

驚いたのは、曲輪全体が傾斜地になっていること。普通、山城の曲輪って、尾根を削ったり、盛り土をしたりして作る平坦地ですよね。



こんなに傾斜していたのでは、大勢の兵が籠って戦うのに不便ではないか。寝小屋はもちろん、露営するのも大変で、籠城戦の際、城兵はどうやって暮らしていたのかと気になりました。

 

 疑問を抱きつつ、いよいよ本丸へ。

 

 

(以下、「​おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編​​に続く)

 

本丸の標高は578メートルで、周囲は高い土塁と深い堀に囲まれていました。面白いのは、本丸が2段の平坦地に分けられていること。これだけの規模の城郭で、2段構造の本丸は、あまり見た経験はないような。



本丸は、ほかにも興味深いアイテムが満載でした。

 

 もうひとつ興味深かったのは、本丸の北西に位置する北の丸の存在。


 

北の丸の標高は、本丸より高いのですよ。本丸よりも高い場所に曲輪を持つ城としては、滋賀県の小谷城が思い浮かびます。

 

当時、この郭はどのような使われ方をしていたのか気になりましたね。

 

本書の中では、半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察を記載してありますよ。

 

最後に向かったのは、伊豆国一宮の三嶋大社。

 

幣殿や拝殿とともに国の重要文化財に指定されている本殿の素晴らしさを堪能です。

 

三嶋大社から三島駅に向かう途中にある白滝公園の水辺の景観は、一見の価値ありでした。

 

山中城や三嶋大社ご興味のある方は、是非、​​こちら​​をご覧いただければ幸いです。

 

​​​おもしろ歴史ウォーキング ​​相模・伊豆国編​​


 

(参考)

目次より

 第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市

1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景

2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺

3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城

4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり

5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と森と泉に~囲まれた天王森泉公園

6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎

 

第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市

1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山

2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島

3.36百の兵力で、44千の豊臣方の攻撃に約100日間持ちこたえる

4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城

5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面

6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸

7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門

8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸

 

第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市

1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道

2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉

3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構

4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵

5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所

6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡

7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡

 

第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市

1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース

2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺

3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地

4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳

5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚

6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」

7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡

 

第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市

1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市

2.三島駅徒歩3分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園

3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園

4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城

5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる

6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀

 

第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市

1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城

2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀

3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸

4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸

5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸

6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察

7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園

 

第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市

1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園

2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ

3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園

4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡

5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった

6.大正7年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある

7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社

 

第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市

1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係

2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城

3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城

4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園

5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園

 

第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市

1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園

2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園

3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城

4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか

5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵

6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院

7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園






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最終更新日  2021年04月28日 12時31分39秒
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