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2009/11/14
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初めから憎しみがあったわけではない。
老王に生まれた子がレティシアと名付けられ、産着(うぶぎ)にくるまれた姿を愛らしいとさえ思った。
兄が慣習法を曲げて、彼女を王位継承者と定めた時までは・・・・
「レティシア陛下。前へお進み下さい。」
拘束から5日目の朝、聖堂上階の一室に設けられた審問会場には、ジークムント公のほか彼に従う諸侯達と、フライハルト聖職会の頂点にあるゲイラー司教が揃い、半円状に着席していた。
裁きの場に引き出された女王は満足に身支度する猶予も与えられなかったせいで、さすがに常日頃の容貌に比べればやつれて映ったが、臆するどころか、まるで己の意志でこの場に臨(のぞ)んでいるように落ち着き払って公爵を見すえている。
「第一の訴因、エグモント公の謀殺・・・・」
訴状を読み上げるのは、かつてレティシアに仕えていた壮年の法務官である。
顧問会議制を廃止し省制度に移行した際、ジークムントとの繋がりを疑われて中央から去った男だ。
この会場には憎悪が満ちている・・・レティシアが男のこけた頬の動きに視線をやった時、一人の兵士が身をかがめてジークムントに近づいた。
眉をしかめて報告を聞いた公爵は、短い指示を与えて兵士を退席させた。
(ようやく動いたか・・・グストー・イグレシアス・・・・)
目の前では審問官が獲物を追い詰めようと、その機会を今かと待っている。
ジークムントは決めた。
中断はしない。
グストーを引き出す前に、レティシアに深手を負わせておこう。
彼は椅子に腰掛けたまま、右手の人差し指で合図を出した。
レティシアと対峙する法務官が頷いた。
「公式の記録では、エグモント公は狩猟中に銃の暴発で落命したとあります。」
「夫の死は、不幸な事故でした。」
「そのお言葉に偽りはないと?」
「私もグストーも関与していない事は、当時証明されたはず。」
「しかし、それはあくまで側近の方々の証言によるもの。我々はここに、新たな証拠を提示いたしましょう。」

奥の扉が開き、白布に包まれた長方形の箱が運び込まれた。
中央の台座に置かれたそれを、法衣の男達が二人がかりで丁重に解く。
中から現れた木箱の蓋が外され、内側に鈍い金属質の光沢が見えた。
「・・・・!」
一瞬にして、レティシアの表情が硬直したのは明らかだった。
彼女が初めて見せた動揺に、ジークムントは満足げに目を細める。
レティシアの視界から、色が失われた。
取り出され、諸侯の前に高々と掲げられた一丁の猟銃。
銃身の根本は無惨に裂けて、いびつな花弁のように大きくめくれ上がっている。
金属に浮き上がるおびただしい錆(さび)は、夫エグモントの血の痕跡だ。
震えそうになる手を固く握りしめ、彼女はかろうじて自分を支える。
(なぜ・・・あの銃は処分させたはず・・・!)


「気づかないと思ったか。お前が狩に同行しない理由など、分かってる!」
8年前のあの日、エグモントは私を執拗に責めていた。
「政務だなんだと、もっともらしいご託を並べて・・・あの僧侶と逢瀬を楽しむ気だった!」
苛立ちは極限まで達し・・・彼は寝室で私を打ちすえた。
私が床に倒れても、幾度も。繰り返し。
「エグモント殿下、おやめ下さい・・・!」
私をかばって間に入ったアルブレヒトは、エグモントの前で立ちつくした。
首元に当てた指の合間から、血の筋がしたたっている。
半ば正気を失った夫の手に、朱に染まった短剣が見えた。
いつも狩猟用にエグモントが持ち歩き、易々と獣の皮や肉を裂く。
それをアルに再び突き立てようと、彼が振り上げる。
「アル!!」
無我夢中だった。
床に伏したまま手を伸ばした先に、木と金属の固い感触があった。
エグモントの猟銃。
体を引き起こし、銃を抱え込むように構えた。
狙いなど定まるはずもない。ただ必死に重い銃身を引き上げて夫へ向けた。

「当初、殿下の死は猟銃による射殺と疑われました。しかし、証拠が示す通り・・・・」

「・・・陛下・・・・!」
引き金を引こうとする私をアルブレヒトが押さえ込んだ。
痛いほど激しく、彼が私の手から猟銃をはじき飛ばした。
銃は壁に当たって跳ね返り、それをエグモントが拾い上げた。
鈍く光る銃口が、ゆっくりと持ち上がり私の額に狙いを定めた。

「猟銃は実際に、暴発したのだ。」
   
弾(はじ)けるような爆発音と硝煙の匂い。
床に膝をついたまま、目の前にはアルブレヒトの黒衣。
彼は全身で私を覆うように、強く抱きしめていた。
頬に押し当てられた軍装が、ざらりとこすれて痛い。
「ア・・・ル・・・・?」
やがて生温かい液体が足元を浸食していくのが分かった。
床一面に広がった赤・・・
むせ返るような血の匂い。
「アル・・・アルブレヒト!」
「陛下、見てはいけない・・・」
もがく私を一層きつく抱き寄せる腕。
彼は全身に飛沫(しぶき)を浴びて
白銀の髪から雨のように深紅の水滴がしたたり落ちていた・・・・

「さて、レティシア陛下。」
レティシアは記憶と共によみがえった生々しい感触に、めまいがした。
自分に向けられている、無数の刺すような視線を感じながら。
「このおぞましく痛ましい事件は、確かに銃の暴発が原因でしょう。しかし、不幸な事故ではなかった。」
「何を・・・あなた方の提出した猟銃こそ、この一件が偶発的なものであった証拠ではありませんか。」
「いいえ、陛下。我々は慎重に検討と実験を繰り返し、ある結論に至りました。もし銃が正常な状態であれば、たとえ暴発が起きてもエグモント殿下は両手を失う程度で助かったでしょう。」

審問官は革張りのファイルに綴じられた紙束をめくった。
「ここに、エグモント殿下のご遺体に関する所見があります。」
レティシアは奥歯を噛んだ。
機密扱いのはずの記録が、一体どこから漏れ出したのだ。
「記録によると、殿下の頭骨前面に大きな損傷があり、下顎骨も砕けていた。この傷は、銃の台尻部分が衝突したと考えると合致します。」
黙して聞いていた司教が、胸の前で小さく十字を切った。
「この大きく裂けて巻き上がった銃身。同質の猟銃で、これほどの規模の暴発が起こることはない。それが起こったのは、人為的に手が加えられていたからです。」
審問官は猟銃を手にしてレティシアの目の前に突き出した。
「銃弾の火薬には、通常の配合の他に塩素酸カリウムが加えられていた。爆発威力を増大させるが、不安定で危険な物質です。当時イタリアで発見されて間もないこの物質を、我が国に持ち込んで用いることができたのは誰か。自ら配合する技術を持っていたのは誰か?そして、その実行者に命令を下せたのは誰か!」
「・・・グストーや私を疑うというなら、誓ってエグモントの死には無関係です。火薬の配合が特殊であろうと、何一つ彼の関与の証明にはなっていない・・・!」

レティシアの言葉に、諸侯から追求の声が上がる。
「宰相は潔白だと?なら何故、奴は殿下の死後に国外へ逃れた?陛下ご自身、引き止めなかったのは何故だ。」
彼女は沈黙するしかなかった。
グストーはエグモントの死を画策などしていないはず・・・少なくとも自分は命じていない。
他ならぬ自分が、あの銃を撃とうとしたのだから。
だが事実を明かせば、これまでの偽証が罪となる。
そして、何より・・・・
「まぁ、皆さん。」
審問官は、なだめるような声でファイルを閉じた。
「調合や実験を行う手合いは、記録を詳細に取っておくもの。宰相殿の部屋から配合記録が見つかれば、重要な証左となるでしょう。」
それは、既に勝利を確信した言葉であった。





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Last updated  2009/11/15 02:37:35 AM
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