安岡正篤一日一言7 5月15日 慈悲の菩薩
私は子供の時からお地蔵さんが好きであった。年をとった今日でも
旅の途次、ふと地蔵像を見かけると、足を停めて拝む。
地蔵さんは釈迦仏没して、弥勒仏のまだ世に出でたまわぬ所謂無仏時代に
現れて、千体地蔵といわれるように、様々の形を取って、
罪苦になやむ衆生を済わんと努力する慈悲の菩薩である。
一王は発願して早く成仏せんことを望んだが、一王は発願して永く
罪苦の衆生を救いたく、そのためには自分が成仏できなくともよいとした、
所謂悲願に徹したのが即ち地蔵菩薩である。地蔵さんほど衆生に
親しまれているものはない。
春宵一刻直千金(蘇軾『春夜』)
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蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
*安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言
六中観 [正篤 ]
忙中 閑有り。 苦中 楽有り。
死中 活有り。 壺中 天有り。
意中 人有り。 腹中 書有り。
甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す
亀井老契 座右
「私は平生窃(ひそ)かに此の観をなして、
如何なる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、
精神的空虚に陥らないように心がけている。」と。
安岡 正篤(やすおか まさひろ)
1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)
陽明学者・思想家。
安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、
三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など
多くの財界人をも指南していたとされる。
終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し
原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けていた。
数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから
「昭和最大の黒幕」と評される。
安岡正篤一日一言 心を養い、生を養う
⇒
安岡 正篤 一日一言@おすすめ本・名言集
人物を修める [ 安岡正篤 ]
・成功とは、情熱を失わずに失敗を重ね続けることである
・面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり
‥