|
テーマ:旅日記(552)
カテゴリ:旅行・お出かけ
銀山公園から龍源寺間歩までの2.3kmの道筋の途中にはいろいろ見どころもあります。明治28年に建てられた「清水谷製錬所」。高さ33m×幅100m、石垣9段の壮大なもの。登って近くから見ると、凄い迫力。思いのほか利益が上がらずわずか1年半で閉所になりました。
近代の技術の粋を投入して造られただけに、巨大で石組みもしっかりしてます。 鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力も十分でなかったことが閉鎖の原因ですが、もったいないことです。 初代銀山奉行の大久保長安の墓もあります。武田氏に仕えて金山採掘に携わり、武田滅亡後は徳川に仕官し石見銀山のほか、佐渡金山、伊豆金山の開発など幕府の鉱山開発を一手に引き受けていました。しかし1613年に死去後、不正蓄財があったとされ、息子7人が切腹させられ財産も没収されました。墓は死後180年たってから1794年に顕彰のため建てられたものです。 「下河原吹屋」跡は、江戸時代初期の銀の製錬所の跡地です。1991年に発掘で見つかったそうです。ただの田んぼに見えます。 坑道は龍源寺間歩だけではありません。川の対岸にある「新切間歩」。写真右下に穴が見えます。 2つ並んだ間歩は「福神山間歩」。 間歩には、それぞれ番号が振られています。ここが461番で、龍源寺間歩が500番になっています。 このほか、毛利家の支配下だったころ、毛利元就の木像をご神体として建てられた「豊栄神社」などがあり、お参りしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年01月05日 08時02分18秒
コメント(0) | コメントを書く |