2648014 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

柳居子徒然

柳居子徒然

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

柳居子

柳居子

Calendar

Favorite Blog

「白衣」その4 New! しぐれ茶屋おりくさん

Comments

柳居子@ Re:経験と初体験(01/25) 一夏の経験 https://www.bing.com/videos…
柳英治@ Re:風雪ながれ旅 解題(04/28) 「とおる」は、「徹」では?
もも2535@ Re:一年一度の 贅沢朝食(08/20) 素敵な会合ですね。私も錦市場の「のと与…
柳居子@ Re:祖霊の送り火(08/19) 大勢の人が 使うようになると 本来の意…
もも2535@ Re:祖霊の送り火(08/19) 私も結婚して京都に来るまでは関東の人間…

Freepage List

Headline News

2019.08.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 先日、祇園祭に付いて書いた中に、祭りが始まって今年は1150年 節目の年と書いた。1150年前は869年日本の元号では、貞観十一年になる。

架蔵の大部 京都史の歴年事項をまとめた巻で、貞観年間を紐解いてみた。貞観と元号を改めてからも、大風・大雨・又疫病の流行りは、赤痢とか痘瘡 また盗賊の横行など 暗い事績が並ぶ。加えて火事の記載が際立って多く見られる。

 人が大勢集まって暮らすと、当然の事ながら流行り病は宿命的な事 特に感染性の病に実に多くの人が倒れたのだが、それにしても火事の記載が多い。この時代既に焼亡した殿舎や寺の再建の記事まで眼に付く。

 基本的な建築資材を材木におく日本は、火事で燃えて建て替えを繰り返し続けてきたという歴史が有るように思う。石材の調達が容易だったら日本の建築事情は余程変わった道を辿っていたかも知れない。

 10年以上も前の話し 町づくりの会とやらに関わっていた頃 アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生が十数人 日本人の指導教官に連れられて 町づくりの日本に於ける事例を見る爲、柳居子の町内へやって来た。
 町を代表して話をする予定の人が急に用事で出られなくなって ピンチヒッター 柳居子にお鉢が廻って来た。MITと言えば世界に名だたる頭脳集団だが 彼等には未だ身に通していない事がある。柳居子の持つ体験差の様な事を話せば良い 彼等は坊や御嬢さん達だと 臆することなく一時間半 何の準備も無く話をした。 柳居子の講演?要旨は次の如くに 話し始めて直ぐに

『皆さんこんにちは 遠くからよくお越し下さいました。日本は、今でこそ超高層のビルが立ち並ぶ様になりましたが、僅か七十年程前 第二次世界大戦が終わる頃までは、殆どの人は木造住宅に住んでいました。何故木造住宅が多かったのか判りますか? 』話し始めて直ぐのこちらからの質問に少々戸惑っていたが 金髪の青い眼の可愛らしい女の子が『建築資材の調達が容易だったのでは?。』と答えが上がった。『そう。其の通り 日本は地政学的に山が多く 山には樹木が茂り 其の木を川に流せば運搬も楽です。京都の北には山が有り 市内を鴨川という川が流れていますから 木造の建物を建てるのに都合が良かったのです。 只上流の木を切り倒し過ぎて、山の保水力が無くなり度々鴨川は氾濫水害に遭いました。京都の西を流れる桂川 上流は大井川と言いますが其の川を整備して丹波という地方から材木の調達が出来る様になってから鴨川の水が溢れる事は激減しました。
 建築資材に、頤使を容易に使えたら日本の建物も随分変わっていたと思います。日本で石が建築資材として使われたのは お城の石垣位のものだったかと思います。水害に加えて木造住宅は火事で燃えてしまう事も多く 日本の建物は建て替えの歴史でもあります。
 日本の歴史が始まって以来 古代から変らずに二十年に一度『式年遷宮』と言って 古式通り建て替え続けられる建物が在ります。天皇の祖先を祀る『伊勢神宮』という三重県に有る神社は千年以上建て替え続けられているのです。
旧い時代の遺物が其の侭残る事 エジプトのピラミッドの例も有りますが 建て替えられ続けるというのも 建築文化とか歴史では、特筆される事だと私は思っています。
 この一事だけを取っても 日本は歴史の在る国 又歴史を後世に伝えねばならないと考える国という事が判って頂けると思います。』

 柳居子の話しは、結構受けて質問も有った。堪えられる範囲で答えた。資材調達が容易だったのではと答えた 金髪の青い眼をした女の子の顔を時々思い出す。

 京都の1115年前は、大風と大雨で民家多く倒れると、「三代実記」に書いてある。因みに1100年前 919年は、延喜十九年 近衛以東二条以北の井戸が枯れたと「扶桑略記」に書いてある。1000年前は寛仁十九年 藤原頼実邸焼亡 穀倉院焼亡 放火多く 道守屋を置き宿直警備の制度を作った。900年前 1119年 元永二年 万里小路で火事 綾小路東洞院藤原実能邸焼亡 藤原宗道新築の六角邸焼亡 と 火事ニュースが続く 800年前の1219年 承久元年 近衛町より出火 出雲路 川原迄至る 尊勝寺西塔焼亡 11月は延勝寺金堂 最勝寺金堂も焼亡と この時代も後の時代も火事焼亡は絶えることが無い。

 燃えるから 建て替えの力が湧いてくる。案外災害に強いと言われる民族性は、焼亡の歴史で培われた日本人の持つDNAが働いているのか等と考えるのだ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.08.05 10:08:48
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.