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「甲斐性がある」と 云う言葉は、かいがいしい性格とか、頼りになる、生活能力が高いという意味で使われるケースが多いと思うのだが、昔は『気甲斐性』という言葉が頻繁に出ていた様に思うが、聞かなくなって久しいる
古くからお越しになっている呉服屋さんの御主人と 其の方のお父さんと同業、同年配のこの方も柳居子の店に見えていたお客さんの想い出話の中で、気甲斐性という言葉を久し振りに思い出したので 気甲斐性の有った人の話を書いてみる。 担ぎの呉服屋さん、僅かな反数を肩に担いで、馴染みの家々に直接セールスに出掛ける小売業 訪問販売のクラシックなスタイル。そういう仕事をされていた。当時七十歳代 現役で頑張って居られた。 京都市が敬老乗車証を始めて発行した時、当初金の負担は一切無しで、お年寄りに配られていた 其の後何某の金を収入に合わせて徴収しているが 柳居子には大変ありがたい制度だが この制度が出来て最初に恩恵を受けた 担ぎの老呉服屋さんが、何を仰ったかと言うと『儂はなぁ、手に何も持っていない時は、有り難くこのタダ券使わせて貰うのやが、荷物(商品)を肩に掛けている時は 皆と同じ様に 金払って 堂々とバスや市電に乗っとる』 仕事と仕事以外を使い分けておられた。「只券使って仕事しとる。と 思われるのはけった糞悪い。 仕事中は ちゃんとバス代払うというのは「気甲斐性」が有るという事。『世間様に気恥ずかしい』とも仰っていた。物事のけじめ こういう風に考える日本人が昔は多かったのだろう。 七十歳越えての担ぎ呉服屋現職 其の事が同乗のバスの客に判ってしまうのが恥ずかしかったのかも知れない。確かめろ術が無い程歳月が流れた。息子さんも先年他界された。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.15 09:52:53
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