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柳居子徒然

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2020.09.14
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カテゴリ:カテゴリ未分類
  朝の珈琲屋で出てくる話題は、天下国家を論じる事も有るが、天下万民 万庶民の事が話題に登る事が多い。古参は床屋だが 医者・呉服屋・銀行OB ・学者・物書き・パソコンに滅法強い後期高齢者も居る 素人向きに判り易く色々とパソコンの事を説明してくれるのだが、「あっ そうだったのか。」と、判った様な声を掛ける男に 耳傍で 『本当に判ったのか?。』と効くと『判った様な感じがしたのです』と言う。ある種の気遣いか。
メンバーの中には、花街お茶屋の息子が二人居る。お茶屋の商売は親の代で閉じているのだが、二人とも一風変わった人たちである。珈琲屋日参で無い花街の男Bは、よく喋る。彼がやって来ると、色々な市井の人には判らない話を聞かせてくれる。『 女衒 水揚げ お茶ひき 桜紙・・・・死語世界になる。
 小学校時代の作文の話が、面白かった。担任の女教諭が 作文の宿題 お父さん お母さんの事を書く様に課した。大凡女教諭の想像を超える作品が目白押しだつたそうだ。『今日は珍しく お父さんが家に泊まりました』? 子供は正直 事実ありのまま書く。一寸作文書かせた先生問題になったそうだ。
 毎朝顔を見せる花街の男Aは、学生時代からの旅好きが其の侭生涯の仕事となって、旅行の添乗で全世界 南極と南米以外は隈なく見て歩いたという猛者だが坊や坊やとも呼ばれている。先日彼が中東イスラム圏では 何人もの妻を持つことが当然の様に今も有るようですね、という話しから妻妾の話がどんどんと進んだ。

身分格差が厳格に固定されている国は、権力・財力 力のある男性が何人もの妻を娶る事が当然と考えられる一つの理由は、生れた子供が成人に育つまで生残る事が難しいと思われた時代 一人でも沢山の子供を作らねばという必然 生物種としての本能が有る、また 特定の男だけがというのは 力の無い男と一緒になっても生きていけないという必然 イスラム圏の女性が素顔を他人に晒さないと言うのも何か関連が有るのかも知れない。 随分前 イランの皇帝か皇太子が 相愛の王妃との間に子供が出来ず『三年子無きは去れ』と言う様な戒で別れた話を思い出した。 今は男女同権が高らかに謳われているが 女性は子を産む機械の様に扱われていた時代も有ったのだ。
 日本の場合 妻妾と書くと 日向 日陰の様なイメージが有るが、正妻に子が出来ず 外腹の実子を 養子に迎えるケースも昔は多々有った様だ。日本では二号妾 何となく陰湿を感じるが イスラム圏では第二夫人 第三夫人・・大らかな感じがする。スカルノ大統領の第?夫人だった デビ・スカルノさんも 世間に身を隠すような存在ではなかった

 畏き辺りでも お局様が生母 明治天皇は公卿 中山卿の娘 大正天皇に至っては 柳沢二位の局 昭憲皇太后の子供では無かった。血筋を絶やさずにという大事は 人の愛憎の遥か上を行く一大事だったに違い無い。後宮 女官制度の廃止は 昭和天皇の決断 男女同権の時代には迎合 合致はしているが、後継選びに色々と問題が有る 其れでも 後宮 お局制度の復活は無いと考える。
 高家の妻は 七人半の宛てがい という成句の在ったことを最近知った。 高家とは 格式の高い武家の事 七人半の宛てがいは、七人半迄妻を持っても差支え無いと言う事
 貧乏人の子沢山は 母親が化粧する間が無い 高家は、乳母を始め女性に囲まれて過ごす 昔の女性の化粧材料 白塗りは鉛 其れを子供が吸って早死にしたと言う様な研究をしていた人も居た。





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Last updated  2020.09.14 16:34:09
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Re:高家の妻は 七人半の宛てがい(09/14)   後藤昌美 さん
京都の朝の景色を思い浮かべながら読ませていただきました。私の住んでいる中京圏で、「モーニング」=朝の喫茶店の意味です。朝の畑仕事を切り上げて私が行く店は、紅葉マークの軽トラでいっぱいです。どの店も、モーニングサービスを競っているので、喫茶店に行く日は、昼食は要りません。
 大名の嫡男が幼少の頃になくなるのは、鉛の影響と言われています。身分が高い家ほど、影響も大きかったのでしょう。
 以前、京都杉浦家の関係で大変お世話になりました。先日も、杉浦五左衛門重勝公の菩提寺のご住職とお話をしておりましたところ、先代が永眠されたこともご存じでしたし、定期的にご供養においでになっていました。
 実は、江戸時代のものと思われる京都の町絵図が手元にありまして、三条通の杉浦呉服店「2016や2019」大黒屋」のあった場所を探しているのですが、わかりません。
 六角堂を確認しました。その西あたりが日昇別荘でしょうか。大黒屋さんはどのあたりになるのかご存じでしたらご教示願いたく、ご連絡いたしました。
 ちなみに、日昇別荘の歴史にある「一宮城」は、杉浦五左衛門公が、竹鼻城主になる前に居住した現一宮市の「浅野城」のことだと推測しています。前任の城主浅野輝政は信長の重要な家臣で、主君とともに近江向かいました。
 大黒屋の屋号は、大黒天も由来だと思われますが、炎上する竹ヶ鼻城から逃げて近江にたどり着いた幼い杉浦みき子が見た大黒山とつながると興味がつきません。後藤
ますますのご活躍を祈念申し上げます。 (2020.09.15 00:48:00)

Re[1]:高家の妻は 七人半の宛てがい(09/14)   柳居子 さん
後藤昌美さんへ
大黒屋杉浦家は、六角堂の一筋北 三条通りを鴨川の方に向かい四筋目 柳馬場 富小路間の南側に在りました。何時ごろの絵図を面とか判りませんが、竹原版とか正本屋版など 幾つも京絵図は残ってますが、其の多くは京土産として売れたようで 訂正を要するものも有ります。 (2020.09.15 13:40:34)

Re[2]:高家の妻は 七人半の宛てがい(09/14)   後藤昌美 さん
柳居子さんへ ありがとうございます。私の手元にある絵図は、相当痛んでおりますが、現在の京都市内がほぼ含まれている一間四方ぐらいのものです。この図では、六角堂が「三文字」と「まんだらや」に挟まれております。六角堂の東の区割りは空白で、その東の通りは「丸や」さらに東は、「ろ祐」「です。六角堂と書かれている区割りの北東は「曇花院」です。
お教えいただいたように見ていくと、「中の下」と「八まん」の間の 丸に「ぬ」の印の交差点に接している「佛所八まん」あたりでしょうか。
手元の地図では、六角堂の区割りが三条大橋からの通り「煌忠」に面しているように見えます。
少し北の「車屋通り」がつきあたる通りが「三条通」でよろしいでしょうか。
お手数をおかけいたします。後藤 (2020.09.16 00:21:11)


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