カテゴリ:燃える指(完結)
時の代償~還りし者
闇の奥深く、異人は立っていた。 深く沈んだ夜の底にある静寂がその空間を満たしていた。 「僕は忙しいんですよ」 金色の髪の異人が異議を唱えた。更に深い闇の向こうに常人の目には捕らえられぬ影があった。 「そうですね、あと三日あれば。あれはとても強固だから」 影が不満げに身悶えした。 「あれは貴方も知る者が編み上げたのですよ。容易ではありません」 異人がよろめいた。激しい怒りの波動が彼を突き刺したのだ。 「わかりました。出来るだけ急ぎます」 すべてが闇に包まれた。 竹生が姿を消して一月が過ぎた。幸彦はもうその名を口にする事はなかった。大きな『奴等』の気配はなく、時折どこからか這い出した小さな『奴等』を片付ける事で、神内達は暇をつぶしていた。彼等は待つ事には慣れていた。慣れていないのは幸彦だけであった。部屋から出られない苛立ちがつのっているのが、三峰にも感じられた。だが彼にはどうする事も出来ない。幸彦の神経を逆撫でしているのは、どこからともなく聴こえて来る不協和音のせいもあった。それが何なのかはわからない。しかしそう遠くない所からそれが響いて来る。そしてだんだんとはっきりと聴こえて来るようになった。 「やばい」 マサトは例の部屋でいきなり立ち上がった。 「誰かが俺の結界に手をかけている」 「『奴等』か?」 神内はマサトが震えているのを見た。どういう事なのだろうか。 「いや、異人が自分の仲間を生贄に結界を破ろうとしている。無茶しやがるな」 「幸彦の所か」 「ああ、あれを今から張りなおすのは無理だ」 マサトは部屋を出て行った。行く先は地下室だった。 ここの地下室にアイツを連れて来てある。強靭な意志が災いして、変化した身体と精神が融合せず、ずっと苦しんでいる。光の届かない夜なら、幾らかはましになるとはいえ、苦痛が全身を苛み続けている。もう一度アイツに思い出させるのだ。何の為に生きようとしたか。苦痛を乗り越えるきっかけになるかもしれない。新しい哀しみがあるかもしれない、苦しみがあるかもしれない。けれども今はその力が必要だ。たとえそれが呪われた力であっても。守らねばならないのだ、俺の息子を。 見張りに立ってた三峰はすぐに結界の異変に気がついた。彼は感受性が強い。急いで秘密の合図を火高に送った。その彼も気づかぬ影が天空より幸彦の部屋の窓辺に降り立った。部屋の中にすべりこんだ影は、美しい人の形をしていた。影は白髪を夜の灯にほのかに光らせ、幸彦の眠る寝台に近づいた。彼はその片手を幸彦に伸ばした。白く繊細な手を。幸彦に触れようとした瞬間、強い電流に触れたような痛みが走った。寝顔を見下ろし、彼は己のした事を悔やんだ。人ならぬ身になった事をではなく、幸彦のそばに舞い戻った事を。幸彦が不意に目を開けた。 「竹生!」 叫んで幸彦は竹生の手首を掴んだ。激痛が走る。竹生の顔が苦痛に歪んだ。 「お・・離し下さい・・」 「いやだ」 幸彦は起き上がった。気を失いそうなほどの痛みが手首から全身に広がる。 「僕のそばからいなくならないと誓うなら、離してもいい」 「それは・・・」 脂汗が背中を伝う。 「貴方の身近におりますから。幸彦様が危険な目に遭われたら、すぐにお助け出来る距離に」 「嘘だ」 苦痛が我慢の限界を超えそうだった。手を振り解こうとすれば、幸彦を傷つけてしまうかもしれない。 「必ず・・お助けします・・」 掴まれた場所から黒い煙が上がり始めた。幸彦ははっとして手を離した。 「お前・・」 竹生は黒く爛れた手首を押さえ、苦しげな顔のまま、立ち尽くしていた。 「このような身体では、おそばにお仕えする事はかないません」 「何があったんだ」 竹生は答えない。 「幸彦様!」 三峰と火高が飛び込んで来た。竹生の姿をそこに見出すと二人は驚きの表情を隠せなかった。 「結界が消えた」 竹生は二人に言った。幸彦は二人が竹生の変化を知っているのを感じた。 「竹生、お前は人ではないのだね」 幸彦と竹生の間に三峰が割って入った。 「竹生は貴方との約束を果たす為に人である事を捨てたのです。どうか彼をお許し下さい。竹生の出来ない事は私がいたします」 三峰はその場にひれ伏した。 「どんな事でもいたしますから、兄を・・どうか、お許し下さい」 幸彦は三峰の肩に手をかけ、立ち上がらせた。 「僕は誰も罰する事はしない」 「竹生、見てご覧」 美しい夢が竹生の意識を包み込んだ。 「これは・・」 あの夢だった。 「僕が初めて人に送った夢だ。そう、お前に」 「覚えていらしたんですか」 「お前の中にこの夢を見つけた時、思い出したよ」 「幸彦様・・」 幸彦様が覚えていて下さった。それが竹生にはうれしかった。 「お前の心を守ると言ったのに、こんなにお前は一人で悩んで・・ごめん」 竹生は首をふった。 「いえ、幸彦様は今も私の支えです」 「僕がころんだ時、手を取って起こす事が出来なくても、僕が一人で起き上がる間、守ってくれる事は出来るだろう?だからそばにいておくれ」 「はい」 「三峰も火高も、他の盾もいる。そしてお前がいてくれるなら、僕はもう怖くないよ」 結界がない今、竹生がここに来られたように『奴等』もやって来る。 火高を部屋に残し、竹生は三峰を隣室へ連れて行った。竹生は三峰にささやいた。 「白露と寒露、それと保名を呼べ」 「保名を村から出してはなりません」 「かまわぬ、幸彦様は今はここにいらっしゃる。マサト様のご負担を減らす事が第一だ」 保名は村の結界の要だ。それを不在にしては村の守りが疎かになる。しかし幸彦には結界が必要なのだ。その為に強い力を持つ者がいる。 「白露と寒露はお前の元に置け。私と火高の代わりに。お前の組を作れ」 「竹生様!それは」 「私はすでに死んだ身だ。火高も長くはない」 竹生は何を言い出すのだろう。三峰は混乱した。 「火高の次は私の命をと、申し上げたはずです」 「私は他の命を奪って生きながらえる事は、やはり出来ない。お前の命まで奪う事は出来ない」 「竹生様、それが私の気持ちです。私は幸彦様の盾、貴方の組の者です」 必死な思いで三峰は言葉を探した。試練を乗り越えて戻って来たというのに、又逝こうとするのか。 「生きて、幸彦様をお守りするのが盾の役目だ。そして村を守るのもそうだ」 「ですから、竹生様、生きて下さい」 竹生は三峰や親しい者だけに見せる笑顔を見せた。冷徹な長ではない顔を。 「三峰」 「はい」 「私の亡き後は、お前が幸彦様のおそばにお仕えするのだ」 「竹生様、そんな事を言わないで下さい!」 「弟よ、お前が私の代わりに幸彦様のおそばにいておくれ。私はもうあの方には近づけない体なのだ。幸彦様を一人にしないと誓ったのに」 竹生は黒く焼け爛れた手を差し出した。三峰は胸が詰まった。呪われた身体。決意したとはいえ、その身を持って生きながらえるのはあまりに残酷な事なのだ。 「わかりました・・それが竹生様の誓いなら、私もそう誓います」 火高は幸彦の傍らにいながらも、この兄弟の痛ましい想いを感じていた。人でない身になってまで守ろうとしたのに、それすらかなわぬと悟った竹生の苦しみと、誰よりも慕う兄との遠くない別れを感じている弟の悲しみを。そして自分の血を捧げて得られる時間が少しでも長くあるようにと、祈らずにはいられなかった。 交錯する不安の中で、幸彦は遠い音楽を聴いていた。不協和音のような音は今やはっきりと聞き取れるようになった。それはピアノの調べだった。 掲載小説のまとめサイトはこちらです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/12/15 12:57:27 AM
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