カテゴリ:燃える指(完結)
天と地の獣~滅ぶ者
次第に場所を移動し、いつしか二人は崖の上に来ていた。その先は断崖絶壁で、遥かに下方に燃える溶岩の赤い火が見えた。失った手の代わりにアナトールの左手は鉄の義手が付けられていた。鋭い爪は岩をも切り裂いた。竹生は黎明で受け流しては、その攻撃を避けていた。 (なんという・・強さ) 『奴等』の加護を失ったにも係わらず、アナトールの戦闘力は衰えていなかった。 「楽しいねえ・・」 アナトールは笑いながら、飛び掛って来る。竹生は不自然さを感じていた。だが今は竹生の方が不利だった。ここは彼等の領域なのだ。風の力も思うように働かない。 「どうした、どうした、こんなに弱かったかい?」 アナトールは竹生を攻め立てた。竹生は崖の端まで追い詰められていた。 「後がないよ、どうする?」 アナトールは高く笑い、鉄の爪を振りかざした。竹生の髪が逆立った。盾達も敵と戦いつつ二人に追いついたが、溶岩の壁に阻まれ、竹生に加勢する事が出来なかった。 「竹生、頑張れ!」 幸彦の叫びが地鳴りの中に響いた。 寒露は眠る間人の傍らに座り、篠牟の置いていった刀を引き寄せた。 (篠牟は、本当に気が利く) 変化した感覚には、今まで以上に周囲の様子が肌を突き刺すように鮮明に感じられた。遠い戦いの気配さえ・・火高の笑顔を思い出した。あれと同じ顔を先輩の盾の顔に見た事がある。これを最期と敵に向かって行った盾の顔だ。 (火高様は、ご自分の命の大半を俺に与えて下さったのだ) 奥座敷の門番として君臨した者が、その役目を寒露に託し、赴いたのだ・・戦場へ。その意味がわからぬほど鈍感な寒露ではなかった。そして受け継いだ役目と命の重さをも。 「寒露様・・」 間人の声がした。大きな目を見開いて自分を見上げている顔を、寒露は覗き込んだ。 「どうした」 「白露様は、遠くへ行ってしまわれたのですね」 「ああ」 「とても寂しいけれど、綺麗な夢が・・僕・・」 寒露は首を振り、その髪を撫でてやった。他に何をしてやるよりも、白露と同じその仕草が白露の想いを伝えてくれるような気がした。 「白露は、誰も恨んではいない。そして三峰様の為に、望んで遠くへ行ったのだ」 「はい・・」 「お前は今でも、俺と白露の、俺達の”特別な子”だ」 寒露の手を今は片手しかない手が掴んだ。 「ずっと守ってやるから、一人にはしないから。俺と俺の中の白露がお前を守る」 そうだ、白露・・お前がたとえ遠くで一人彷徨う間も、俺達はいつも一緒だ。この魂はひとつだと、あの封じられた者も言ったではないか。今もお前は生きている。俺は感じている。 「マサトが・・」 安楽椅子に沈み込み、遠くを見ていたサギリがつぶやいた。部屋には他に神内しかいなかった。思ったより重傷だった和樹は、カナの手当てを受け、自室で眠っていた。神内の顔にも疲労の色が濃い。 「マサトの身体を、こちらへ連れて来る?」 「いや、村の者にまかせよう。今は和樹に見せたくない」 神内は焼け焦げたネクタイをゆっくりとはずした。 「あの村に眠りたいだろう、マサトも」 「そうね」 「まだ、終わっていないしな」 「見る?向こうの様子を」 神内は微笑んで、サギリに言った。 「もう、見なくていい。きっと幸彦達が終わらせる」 サギリは立ち上がると神内の所へ歩み寄った。その膝に乗り、首に手を回した。そして神内の汚れた頬に自分の頬を寄せた。 「もう、これ以上、誰も失いたくないわ」 「ああ」 「ネクタイの事は、マサトに免じて許してあげる」 「ああ、すまない」 「今度は何色にしようかしら、青にする?マサトの好きだった青・・」 「俺には似合わんだろう」 「貴方はどんな色でも似合うわよ。だから忘れないように」 「忘れないさ、俺もお前も」 「そうね」 すすり泣きが、静かな部屋に響いた。 幸彦を守りながら、盾達は溶岩から出現した悪鬼と戦っていた。これまでとは格段に異なる強さに手こずっていた。幸彦はある事に気がついた。 「竹生、アナトールの左手に『奴等』が隠れてるんだ!」 『奴等』を滅ぼすカヅキの銀の身体を封じた”黎明”が、アナトールの左腕を砕いた。断末魔の悲鳴が領域を揺るがせた。二人の周囲の溶岩の壁が崩れ落ちた。 「余計な事を!幸彦!」 アナトールは吼えた。大きく振った右手から溶岩のつぶが飛び出し、幸彦に襲い掛かった。幸彦の前に巨躯が立ちはだかった。その身体に溶岩のつぶが幾つも突き刺さり、肉の焦げる匂いがした。 「火高!」 「幸彦様!」 三峰は戦っていた敵を切り捨てると、幸彦の元へ飛んだ。そして幸彦の顔を自分の胸に伏せさせるように抱きしめた。 「火高を、見ないでやって下さい」 火高は立ったまま絶命していた。その前面は黒く焼けただれていた。奥座敷の門番は最期まで敵の前に立ち、当主を守りぬいたのだ。そしてその身体は塵となり、飛び散った。 轟々と燃える溶岩の音が響いていた。 「もう、終わりにしよう」 竹生は静かに言った。地獄のような風景の中で、それは涼やかで清冽な響きを持っていた。竹生は”黎明”を三峰目掛けて放った。三峰はそれを素早く受け取った。 「狂える悪鬼よ、私と共に滅びよ!」 竹生はアナトールを後ろから羽交い絞めにすると、その首に牙を食い込ませた。アナトールの身体が痙攣した。竹生は後ろに大きく飛んだ。その先は奈落だった。二人はそのまま炎の底へ落ちていった。 「竹生!!!」 幸彦は崖の縁まで駆け寄った。幸彦の叫びが竹生に届いたのか、竹生は笑みを浮かべたまま、その美しい身体はアナトールと共に溶岩に飲み込まれて消えた。 「竹生・・僕を、一人にしないと・・言ったのに」 幸彦の目に涙があふれた。 「一人にはいたしません。これからは私がおそばに」 三峰が幸彦の隣にいた。幸彦は彼を見た。哀しみに歪んだ顔で。 「でも、お前は竹生じゃない」 幸彦は叫んだ。 「誰も代わりになんてなれない!お父さんの代わりも竹生の代わりも!」 三峰は幸彦を真っ直ぐに見た。その瞳には穏やかな澄んだ輝きがあった。 「ええ、そうです。でも私達は生きていかねばなりません。マサト様の分も竹生の・・兄の分も」 (兄・・そうだ、三峰も) 彼も今ここでかけがえのない肉親を失ったのだ。幸彦はうなだれた。 「ごめん、酷い事を言ってしまった」 「良いのです、私達は盾・・幸彦様、私をお連れ下さい」 竹生の弟、彼の意志を継ぐ者は兄そっくりのまなざしをしていた。それも又竹生の幸彦への想いの証だった。 「そうだね、一緒に帰ろう。僕らの村へ」 篠牟は撤退を命じた。 壁を越えると、そこには夜明けの村が広がっていた。大きな悪い夢は消えた。雪火と村の者達が皆を迎えた。 「良くおやりになった、若き当主様」 「いえ、僕ではありません。これは、皆の・・そしてお父さんの」 幸彦は失ったものの大きさを思い出した。涙が出そうになったが、ぐっとこらえた。いたわるように、その肩に三峰は手を置いた。 「さあさ、皆の衆、お疲れでしょう。早く屋敷にお戻り下さいな」 陽気な声が言った。”ゆりかご”の間宮だった。 「美味しいご飯もうんと用意してありますよ、風呂も焚いてありますよ」 萱もそれに続いて言った。 「かあちゃん、味噌汁の具はなんだい?」 久瀬が持ち前の大声で聞いた。 「なんだい、盾になっても食い意地が張って行儀が悪い子だね。あたしゃ、恥ずかしいよ」 萱が言うと、周囲からどっと笑い声が上がった。久瀬は頭をかいた。 「さあ、皆、早く帰ろう」 幸彦は振り返り、出来るだけ元気な声を出して言った。一同は屋敷に向かい、歩き出した。 風が吹いた。 竹生・・やっぱりお前はいてくれるんだね、僕のそばに。お前は今もこうして僕を見守ってくれている。お前の愛した村・・この村で僕はまだ知りたい事が沢山あるのだ。お母さんの事、お父さんの事、僕の役目や竹生たちの事・・そして僕の力を未来の神内さん達に託す為に、僕は子供を持ちたいと思う。僕は僕の欲しかったものをその子にあげたい。そしてその子にも盾を与えてやりたい。いつも僕を守り、支え、愛してくれた・・竹生・・お前のような。 お父さん、貴方が生まれかわって、もし僕の子供達に出会ったら、どうか可愛がってあげて下さい。僕の分も・・貴方には辛い繰り返しでも、貴方が帰って来ると知っている僕らは未来に夢を持てる。その為に僕らは生きていきます。胸を張って。子供達から貴方に、僕が立派に生きたと、貴方の息子として恥じない生き方をしたと、伝えてもらいたいから。 お父さん・・僕はもう、ひとりじゃないんです。 掲載小説のまとめサイトはこちらです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/04/21 11:49:49 PM
[燃える指(完結)] カテゴリの最新記事
|
|