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貴方の仮面を身に着けて

貴方の仮面を身に着けて

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2006/05/30
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悲しみの子の如く


昨夜の兄らしき影の恐怖が舞矢を憂鬱にしていた。社長になら相談出来るのではないかと思った。あの不思議な人になら。舞矢には他に頼れる者はなかった。ところが社長秘書の麻理子から聞く所に寄ると、社長は体調を崩して欠勤していると言う。
「珍しいわね、こんな事」
あの頬を伝った涙を思い出し、舞矢は不安な思いに駆られた。

午後、仕事の手が空いた時を見計らって、舞矢はエレベータで会社の地下へ降りた。警備部はこの地下の階にある。他の部署の者はめったに足を踏み入れない場所である。舞矢も入社以来初めて来た。薄暗い廊下を通り、ひとつの部屋の前に立った。扉のプレートに警備部とある。ノックした。返事はない。思い切って扉を開けた。中はそう広くない部屋だった。机が並び社員が座っている。他の部署と変わらない。だがこちらを一斉に見た社員たちは揃って男性で、見た目は普通の社員と変わらないが、舞矢の知る他の社員達とは異なる異様な雰囲気を身に纏っていた。白いブラウスとベージュのフレアスカートで立ちすくむ舞矢は、明らかにここでは異質の存在だった。張り詰めたような怖さを舞矢は感じ、咄嗟に言葉が出なかった。手前の机にいた者が立ち上がり、舞矢に近づいた。まだ若い男だった。
「何か御用ですか」
彼の温和なまなざしに安堵して、舞矢は勇気を奮い起こして言った。
「磐境(いわさか)さんをお願いします」
それは朱雀のマンションから舞矢を家まで送ってくれた男の名だった。彼は警備部の者だと名乗ったのだ。舞矢の声は震えてはいたが、男は聞き取ったようだった。男はうなずいた。
「では外でお待ち下さい」

廊下で待っていると、磐境が出て来た。彼は屈強な男だった。社長のボディガードとして有能に見えた。その強面とはおよそ不似合いの優しい声で彼は舞矢に尋ねた。
「奥住さんでしたね。私に何か御用ですか」
舞矢は大男の顔を見上げ、言った。
「社長の所へ連れて行って下さい」
磐境は表情を変えなかった。そして首を振った。
「社長は、今、お加減を悪くしてお休みされております」
舞矢は必死の思いをこめて言った。
「お願いです、朱雀の所へ連れて行って下さい」
朱雀の名を聞いて、磐境の強面に驚きの色が走った。
「どうしてその名を・・社長が貴方に教えたのですか?」
舞矢はうなずいた。
「わかりました」
磐境は微笑んだ。この男にしては精一杯の親愛の情をこめた顔だった。
「お帰りの際に又おいで下さい。私がお送り致します」

マンションのセキュリティを操作して舞矢を中に入れると、磐境はそこで立ち止まった。廊下の突き当たりに見覚えのある扉があった。舞矢はそこまで一人で進んだ。扉を開けたのは朱雀自身だった。素足にジーンズを穿き、素肌に薄いシャツを羽織っただけの姿だった。寝ていたのだろう、乱れた髪が額やこめかみに汗で張り付いていた。ボタンも嵌めずにいるシャツから覗いた厚い胸の窪みにも汗が光っていた。それを見て舞矢は羞恥を覚え、目をそらした。朱雀は驚いた顔で舞矢を見たが、扉の前から身体をどけ、中に舞矢を入れると、扉を閉めた。

この前と同じようにソファに舞矢を座らせた。この前より少し離れて朱雀は隣に腰掛けた。一部の隙もない格好しか見た事がなかったから、舞矢には今の朱雀の姿が、かえって親しみ易く感じられた。横を向いて照れたように、朱雀は髪を掻き揚げながら、ようやく口を開いた。
「風邪を引いたらしくてね。寝ていたのだよ」
そんな有様でも朱雀の魅力は損なわれる事はなく、気だるげな様子がいっそう彼の美を引き立てるようだった。これが朱雀だと舞矢はあらためて思った。
「朱雀」
舞矢が呼ぶと、朱雀は優しく少し哀しそうに舞矢を見た。
「私と二人でいる時以外は、その名を呼んではいけないよ」
「今は、いいですよね」
朱雀は肩をすくめた。
「良い事にしよう」

熱があると言い、朱雀はソファにしどけなく寄りかかった。そして舞矢に尋ねた。
「何故、ここに来たのだね」
舞矢はどう言って良いのかわからなかった。朱雀が心配だった。影も怖い。そして何よりも・・
「不安だから」
舞矢はベージュのスカートの端を思わず握り締めていた。朱雀は怪訝な顔をした。
「貴方の涙が、影が、兄が、遠くへ・・」
不意に泣き出した舞矢に、朱雀は身を起こし、その肩を抱いた。
「落ち着いて話しなさい。私はここにいるから」
舞矢はとぎれとぎれに話した。失踪した兄の事、戻って来て人が違ったようになっていた事。幽霊のようにたまに現れ、消えてしまう事。夜中にやって来た影の事。自分を遠くへ連れて行くと言った事・・
「馬鹿げた事だと・・きっと・・誰もが」
舞矢が顔を上げると、朱雀はいたわるような優しい顔で舞矢を見ていた。
「信じるとも。キミが私に嘘を言う理由がない」

朱雀には途中から分かっていた。舞矢の兄は心を奪われたのだと。それは異人の行動パターンに良くあるものであったから。
(彼女を一人には出来ない、次の餌食にされるだろう)
「それで、私に助けを?」
「他に、誰もいなくて」
朱雀はいつもの朱雀らしく軽口を叩いた。
「誰かいたら、私の所へは来てはくれなかったわけだな」
舞矢は大きく目を見開いた。
「酷い、私には誰もいないのに・・」
そして再び泣き出した。これには朱雀の方がうろたえてしまった。
「すまん、そういうつもりでは」
朱雀は肩に置いていた手に力をこめた。
「分かった、キミの力になろう」
舞矢はその手を朱雀の裸の胸に置いた。朱雀は片方の手で、自分の胸に置かれた舞矢の白い手を握り、その身体を引き寄せた。素直に身を寄せた舞矢を朱雀は抱きしめた。前に感じた青く甘い香りが今いっそう濃く舞矢を包み込んでいた。頭の芯が痺れたようになり、舞矢はつぶやいた。
「私を助けて」
朱雀にとってその声はあの方の声だった。朱雀の脳裏に助けられなかった面影が蘇った。腕の中の重みにはその面影が宿っている。彼女は別人だ。それは分かっている。けれども再び失う事は出来ない。朱雀は混乱した思いの中にいた。
「嗚呼、駄目だ。キミを早く幸彦様に逢わせてやらねば」
舞矢が小さな声で言った。
「幸彦様に、私を助けられる?」
舞矢を抱きしめたまま、朱雀は答えた。
「きっと、私よりも・・」
「朱雀・・」
朱雀は苦しげに言った。
「今は、その名で呼ばないでくれ」
「朱雀・・」
「呼ぶな!」
朱雀は、なおもその名を呼ぼうとした唇を、自分の唇で塞いでしまった。舞矢は兄に逆らう事がなかったように、朱雀にも逆らわなかった。深い想いがあふれ、朱雀は柔らかな唇を吸った。重ねた面影はどれも自分の手には届くはずはなく、どれも遠くへ行ってしまうのだと、思いながら。

身体を離すと、朱雀は立ち上がった。
「出かけよう、着替えて来る」
舞矢は不意に寂しさにかられ、尋ねた。
「どこへ?」
「キミを助けてくれる方の所へ。キミの逢いたかった人の所へだ」
幸彦様の事だと舞矢は悟った。だが更に尋ねた。
「私の名前は呼んでくれないの?キミとしか」
朱雀は舞矢を光る目で見た。生のままの朱雀の表情がそこにあった。
「私がキミの名を呼ぶ時は、すべてを捨てる時だろうな」
そしてくるりと背を向け、言葉を続けた。それは明るいいつもの朱雀の口調だった。
「すまん、美人にはつい冗談を言ってしまう、悪いクセがあってね」
そして奥の扉の中へ消えた。だが冗談にしては、あの唇は優しすぎたと舞矢は思っていた。

くすんだ緑色の朱雀の車が、古本屋の店先に停まった。
「ここ?」
「ああ」
朱雀はすっかり身支度を整え、濃いブルーの三つ揃えに赤と紺の細い縞のネクタイをきちんと締めていた。髪も綺麗に撫で付けられていた。どこから見ても社長だった。熱のせいか、ややうるんだ目をしている以外、どこも変わった所は見えなかった。いつものように先に降り、助手席のドアを開けて舞矢を降ろしてくれた。

店の脇の扉から中に入り、朱雀は奥の書斎へ舞矢を導いた。そこにはいつかの夕暮れに見た笑顔があった。彼は書物机から立ち上がり、舞矢に向かい両手を広げた。あの時のように。
「又逢えたね、舞矢」
その笑顔の主が言った。確かにそれは幸彦様だった。その傍らに立つ白い服の長身の人も笑顔で言った。
「貴方は兄と逢ったそうですね」
白髪の美しい人だった。ではこの人はあの黒衣の青年の弟なのか。道理で良く似ていると舞矢は思った。舞矢を残し、朱雀は黙って出て行こうとした。
「お前もここに居て欲しい」
幸彦が言った。朱雀は一瞬暗い顔をしたが、黙って頭を下げ、扉の近くに立った。舞矢は何と言って良いのか分からなかった。あの時の幸彦様は正気とは思えなかった。今の彼は普通の人に見える。舞矢の感じた澄んだ心はそこにあったが、どういう事なのか、舞矢は戸惑った。
「本当に、幸彦様?」
不躾な問いであったろうが、幸彦は微笑んだだけだった。
「あの時の僕は、自分を見失っていたのだ。今はすっかり良くなった」
「私の事は、覚えていてくれたのですか」
「ああ、覚えているとも」
「良かった」
舞矢は初めて笑顔を見せた。

三峰は朱雀の様子がおかしいのに、気がついた。
「どうした、朱雀」
「社長は熱があって」
舞矢が急いで答えた。自分の為に無理をさせたと思ったからだ。幸彦が言った。
「ああ、そうだったのか。すまない、朱雀、下がってくれ」
朱雀は黙って頭を下げ、出て行った。それを見送る舞矢の視線に、三峰は何かを感じ取っていた。だが口に出す事はなかった。幸彦はそれに気づかなかった。

帰宅した朱雀に喜んで飛びついた和樹は、朱雀の異変にすぐに気がついた。
「お父さん、どうしたの?」
掴んだ手が熱い、息も苦しそうだ。
「ああ、熱が・・」
そう言い掛けて、朱雀はそこに崩れるように倒れこんだ。和樹は驚いて叫んだ。
「お母さん、大変だよ!お父さんが、お父さんが!」
立ち上がろうとしてまた崩れた朱雀の身体を、和樹は全身の力をこめて支えようとした。

熱に浮かされた意識の中で、朱雀は見えない白い手が胸の上に置かれ、残り少ない自分の命がその手に流れ込んでいく幻を見ていた。
(さゆら子様、さゆら子様・・貴方を守れなかった私の罪は、許される事はないのですか・・)




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Last updated  2006/05/30 03:33:55 AM
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