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貴方の仮面を身に着けて

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2006/12/22
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カテゴリ:窓の記憶(旧)
「緑の窓」#04-3


あれは、夢だった。
一生に一度位、良い夢を見てもいいだろう。悪夢を見たばかりなのだもの。

百合枝は青磁色のドレスを脱いだ。滑らかな絹の手触りが心地良い。キャミソールもペチコートも絹とレースの高価な物だった。百合枝は朱雀の顔を思い浮かべた。端正な顔立ちなのに、美形の男独特の嫌味がない。自信に満ちた態度の中に謙虚さがある。広い肩も厚い胸も男らしいが、それを必要以上に誇示する気配もない。何もかもがごく自然でありながら、目を離す事が出来ない何かを感じさせる。極上の男である事は百合枝にも解った。自分とは別の世界の男だとも思った。

朽ちかけたがらんとした家で、同じ様に朽ちていくしかない自分。百合枝はいつもの寝巻きに着替えた。清潔ではあるが、古びた淡黄色の寝巻き。足首まである簡素なすとんとした形で、胸のあたりだけ僅かにレースが張り付いている。肩口にも胸と同じレースの飾りがある。まだ少女だった頃から大事に着ている。亡き祖父の贈ってくれたものだった。祖父が死んでから五年余り経つ。遺産は税金と祖父の死後にハイエナの如く寄って来た親類がほとんど持っていってしまった。百合枝に残されているのは、僅かな貯金とこの家だけだった。長患いの祖父の世話をしていた百合枝は、外で働いた事がなかった。大学の時の教師の世話で、得意だった仏蘭西語の翻訳などを細々としていたが、それも小遣稼ぎ程度でしかない。朱雀のドレスは、久しぶりに昔の暮らしを思い出させた。華美ではない本物の上質がそこにはあった。

昨夜は・・音楽会の帰りだった。同級生の一人がチケットをゆずってくれたのだ。フルトベングラーはとりわけ好きではなかったが、生の楽器の音色は百合枝の心に慰めを与えた。夜半から降り出した雨の中、駅から二人の男が自分に着いて来るに気がついた。足を速めると、男達の歩く速度も上がった。百合枝は怖くなり、走りだした。男達は追って来た。途中で傘を捨てた。夢中でどしゃぶりの雨の中を走った。転んだのは覚えている。そして、目覚めた時にはあの部屋にいたのだ。

男達から自分を救ってくれたのは朱雀だろうと、百合枝は思っていた。意識を失う直前、あの良く通る豊かな声が聞こえた気がしたのだ。朱雀は昨夜の出来事については、詳しい事は何も言わなかった。百合枝も聞かなかった。執事の進士も言葉少なで、百合枝も社交的な方ではなかったから、最低限の言葉以外は交わしていなかった。朱雀は丁重に百合枝を扱ってくれたけれど、それは女性に対して、彼はいつでもそうだろうと思わせる態度でしかなかった。

百合枝は一人でいる事が苦ではなかったが、一人でいる事に寂しさを感じなかったわけではない。朱雀なら一緒にいても、百合枝は百合枝のままでいられる気がした。だが、彼は大会社の社長、自分は落魄れ、この先どうなるか知れない身の上なのだ。朱雀の暖かい大きな手の感触を思い出した。優しい笑顔を思い出した。あれ以上に素晴らしい男性にこの先巡り合えるとは思えなかった。これからの人生には、そんな素敵な出来事は訪れそうになかった。

百合枝は、その夜は早めに床に着いた。目を閉じると朱雀の面影が浮かび上がって来る。
(忘れなくちゃ・・)
家を売るのだ、次の住まいも探さねばならない。荷物も片付けねばならない。私は忙しいのだ、余計な事を考えている暇はないのだ。この家を売る事を薦めたのは、弁護士の黒田兵吉だった。兵吉は小太りの中年男だった。何かと百合枝の力になる様な事を言いながら、狡猾で好色な目をする黒田を百合枝は好かなかった。だが祖父の代からの出入りの者で、相談出来る者は彼しかいなかった。百合枝は眠ろうと努力した。不意に涙があふれて来た。百合枝は押し寄せる寂しさと哀しさの中に自分を投げ出した。
(今だけ・・明日はもう忘れるわ)

その夜、朱雀が百合枝からそう遠くない場所にずっといたのを、百合枝は知らなかった。屋敷に忍び込もうとした異人は、悉く朱雀の獲物となった。夜明け前に、配下の者達を残し、朱雀は引き上げる事にした。
(やはり、彼女には何かあるのだ。『奴等』と異人が狙う理由が)
見上げた緑の窓は灯が消えていた。シーツの上で、意識のないままに、仄白く柔らかい身体を朱雀の目の下に晒した百合枝。無防備でありながら、みだらでも下品でもなかった。昨夜の百合枝を思い出し、朱雀の血が騒いだ。それは凶暴な欲情ではなく、百合枝の足元に跪き、その手に唇を押し付け、彼女の為に我が身を捧げる事を誓いたいような、不思議な想いだった。
(今度は守り抜けよ。たおやかなる花を・・)
竹生の声が耳朶に甦った。かつて朱雀は、一度は愛した女を自らの手にかけてしまった。朱雀がその痛手から立ち直ったかと言えば、そうではない。竹生はそれを知っている。知っていて、あえてそう言ったのだろうか。
(竹生様の本当のお考えなど、誰にも分からぬ)
実の弟の三峰ですら、そう言うのだ。朱雀に分かるはずもない。”人でない者”・・人を超えた能力を有する者であっても、神ではない身には、分からない事だらけなのだ。朱雀は何も知らずに寝ているであろう百合枝に、心の中で挨拶をし、朝の気配の漂い始めた闇に紛れ、消えて行った。



(続く)
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Last updated  2006/12/22 09:01:42 PM
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