カテゴリ:窓の記憶(改訂版・完結)
朱雀は書斎の椅子の背に持たれかかり、大きく伸びをした。 「さて、今日はどこに寝るかな。竹生様に寝室をお貸ししてしまった」 朱雀の寝室の方から竹生の悦ばしげな様子が伝わって来る。朱雀の”人でない”感覚はそれを感じ取っていた。 (あの方も、長く孤独であったのか・・) 朱雀は竹生の心中を思いやった。 「私達は自分の為には生きられない」 朱雀は”盾”に伝わる戒めの言葉をつぶやいた。佐原の家の当主であった幸彦の「最強の盾」として、人としての幸せも、人である事すら捨てざるを得なかった竹生。長き戦いの果てに、つかの間の平穏を望んで何が悪かろう。 軽く扉を叩く音がした。 「入れ」 進士が入って来て頭を下げた。 「百合枝様が不安がっておられる様です」 「そうか」 「温かいお茶をご所望されましたが、本当に必要なものはこちらにあるかと」 朱雀は片方の眉を上げ、進士のいつも平静な顔をじろりと見た。 朱雀の住居に続く扉を叩く音がした。百合枝が扉を開けると、ポットと茶器の載った銀の盆を片手で頭上に高く差し上げ、朱雀が立っていた。わざとらしく慇懃に良く通る声が言った。 「ルームサービスをお持ち致しました」 百合枝は驚いた。朱雀が来るとは思っていなかったのである。朱雀は淡いグリーンのパジャマの上に濃紺のナイトガウンを着ていた。素足にスリッパを履いている。百合枝はワンピースのままであった。 入り口に立ち尽くす百合枝に、朱雀は笑顔で優しく尋ねた。 「中に入れてもらえるかね?」 百合枝は部屋の中へ退いた。中へ進んだ朱雀は居間のテーブルの上に盆を置いた。キッチンから百合枝の声がした。 「こちらへ持って来て下さらない?」 「いいとも」 そこは小さなテーブルと椅子のあるこじんまりした空間だった。紫がかった青で野生の苺を描いた白いテーブルクロスの上に朱雀は盆を置いた。 百合枝は両腕で自分の身体を抱き、すがる様な目で朱雀を見た。朱雀は何も言わずその目を暖かい目で見返した。 「ここは広すぎるわ」 「キミの屋敷の方が広いだろう」 「私の部屋はそんなに広くないわ。それに」 「それに?」 「ずっと暮らして来た家だもの」 朱雀はポットを手にした。 「座りたまえ、カモミールのお茶だ。夜にはこれがいい」 薄手の白いティーカップに朱雀はお茶を注ぎ、席に着いた百合枝の前に置いた。 「蜂蜜を少しどうかね?進士が最近気に入っているプロヴァンスの物だそうだ」 百合枝が頷いたので、朱雀は硝子の入れ物から銀のスプーンですくい、百合枝のカップに入れてやった。 百合枝が言った。 「貴方もいかが?」 「では、いただこうか」 朱雀は百合枝の正面に腰を下ろした。百合枝がポットに手をかけると、朱雀がその手を押さえた。 「今日のキミは、我が家のお客様だ」 朱雀は自分でカップを満たした。百合枝がつぶやいた。 「風が・・」 「風?」 「窓が激しく鳴って、外に人影が見えた気がしたの。私、怖くなって・・」 朱雀は片手を伸ばし、百合枝の手を握った。小さな手は冷たかった。そして朱雀の手は温かかった。百合枝は怯えた顔を少し和らげた。 「大丈夫だ、ここは安全だ」 おそらく狩に出かけた三峰だろうと朱雀は思った。 「これを飲んだら、ゆっくり風呂でも使いたまえ」 「ええ」 朱雀は百合枝の手を放した。 「風呂に湯を入れて来よう」 コックをひねると、クリーム色のバスタブに勢い良く湯がほとばしった。朱雀はバスルームの隣のクローゼットからノースリーブのネグリジェと対になったガウンを取り出した。薄い薔薇色の絹にレースを使った豪奢な物であった。それを手に百合枝の所に戻った。 「せっかく用意したのだ、着て欲しいものだな」 「素敵だわ」 百合枝はそれを受け取り、胸に抱きしめた。再び元の椅子に腰を下ろした朱雀に、百合枝はためらいがちに聞いた。 「もう少し、居て下さる?」 「キミが落ち着いて、ベッドに入るまで、居るから安心していい」 百合枝は笑顔になり、立ち上がるとバスルームの方へ歩いて行った。 (続く) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『窓の記憶』主な登場人物 『火消し』シリーズの主な登場人物 『火消し』シリーズの世界の解説 掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/06/05 09:17:00 PM
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