カテゴリ:窓の記憶(改訂版・完結)
竹生の居間である。 この屋敷で一番良い部屋だと、百合枝は言った。 寝室と書斎との三間続きで、磨かれた木の柱も天井の造りも、贅を凝らしているのが素人目にも解る。手直ししたばかりの室内は、堆積していた歳月の汚れがすっかり取り除かれ、往時の輝きを取り戻していた。しかし昔のままに見えて、いたる所に桐原の工夫が施されていた。金糸の縫い取りのカーテンは、昼間を就寝時間とする竹生の為に極めて遮光製の高い物であるし、床の敷物の下には温調の仕組みもされていた。暖炉は本物の薪が燃やせる様になっていた。 年代物の家具や調度品は、元からあった物と桐原が買い揃えた物が混じっていたが、違和感なくしっくりと部屋に収まっていた。だが何よりも、この部屋のあるじが極上の美術品であり、彼を中心にすれば、どんな場所でも最上の豪奢を醸し出す場所となってしまうのであった。 竹生は黒い絹のゆったりとしたシャツに黒いスラックス、部屋履きも黒の繻子織りである。長く白い髪は、竹生が身じろぎする度にさらさらと流れ、花のかんばせは、夜の部屋で仄かに光を放つかに見えた。竹生の寛いでいる安楽椅子は、金茶色のふっくらとしたクッションと柔らかい詰め物をした肘掛が付き、同じ生地のオットマンが添えられている。普段はそれには朔也が座り込み、竹生の膝にもたれているのである。だが今はすんなりとした竹生の足が伸びやかに載せられていた。 (竹生様という存在は、どんな格好をされても、損なわれる事はないのだ) 朱雀ですらそう思い、ソファに身体を預けながら、目の前の竹生の美を満喫した。二人の目には灯りは不要だが、今は部屋の隅の背の高いスタンドに暖色の光が燈っていた。 珍しく竹生は一人でいた。 「朔也は、どうしたのですか」 「熱があるのだ」 朔也は昨日から熱が高く、鍬見(くわみ)に付き添われて自室で臥せっていた。鍬見は”盾”だが医療の心得がある。”外”の世界の医師の免許も所持していた。 「明日にでも、百合枝を寄越してもらいたい。朔也が心細がっている」 百合枝が触れると朔也の具合が良くなる。だが百合枝の体力も消耗するので、竹生も強くは言わなかった。 「先週も来させてしまったからな」 他人には無頓着な竹生が、百合枝にだけは気遣いをみせる。それが朱雀に複雑な思いを感じさせる。竹生は百合枝に特別な感情を抱いている。それが男女の恋愛とはほど遠いと朱雀には解っていたが、竹生にとって百合枝が特別である事には変わりはないのだ。 「戻ったら、百合枝の都合を聞いておきましょう」 「頼む」 竹生は朱雀をじっと見詰めた。魔性の青い瞳に底知れぬ光が宿り、観る者を釘付けにする。美しいという言葉すら余計に思える、その美。見慣れたはずの朱雀でさえも、いつも新たな感動を覚えずにはいられない。 「お前に見せたい物がある」 竹生はそう言って席を立った。朱雀は夢から醒めた。竹生の呪縛が解け、徐々に普段の感覚が戻って来る。部屋の隅に裏返しに立てかけてあった額縁を、竹生は運んで来た。軽そうに見えるが、常人であれば二人掛りでないと持ち運べない代物であった。竹生は窓際にそれを表をこちらに向けて立てかけた。黎二郎の肖像であった。 「百合枝が言っていたのは、これですね」 「もう一枚ある」 竹生は黎ニ郎の絵の隣に、同じ大きさの絵を並べた。洋装の婦人の肖像画であった。同じ頃、同じ画家に描かれた絵であろうか。筆致も似ている。 婦人は絹らしい白いブラウスを着ていた。大きく膨らんだ青いスカートにはゆるやかな襞が寄り、衣擦れの音が聴こえてきそうである。片方に寄せて編んだ長い髪にもスカートと同じ青いリボンが結ばれていた。その婦人の面差しは、百合枝に似ていた。 (続く) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『窓の記憶』主な登場人物 『火消し』シリーズの主な登場人物 『火消し』シリーズの世界の解説 掲載された小説等はこちらでまとめてご覧になれます ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/06/13 10:04:30 PM
[窓の記憶(改訂版・完結)] カテゴリの最新記事
|
|