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貴方の仮面を身に着けて

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2007/10/03
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きらきら


佐原の村の手前に一軒の家があった。群青の家が管理する”壁”の監視の為の家であった。見た目はありきたりな農家である。夜中近くに一台の車が家の前に停まった。降り立ったのは白く美しい影であった。その後から少年が続いた。少年の眼鏡をかけた顔は強張っていた。白き守護者は言った。
「ここだ」
家の戸が静かに開き、彼等を出迎えたのは東士(とうじ)であった。
「柚木様、お久しゅうございます」
東士はすっかり白くなった頭を下げた。東士と妻の早乃は忍野と麻里子の家に仕え、柚木が生まれた時からずっと世話をして来た者達であった。五年前のあの日まで。柚木は何と言って良いのか分からなかった。三峰が取りなす様に言った。
「夜も遅い、まずは中へ」

東士に導かれ、ひんやりとした木の廊下を歩き、奥の座敷へ入った。そこには東士の妻の早乃がいた。早乃は柚木を見ると目頭を押さえた。
「柚木様、背がお高くなって」
三峰が尋ねた。
「早乃、あの子はどうした」
「先程まで起きておられましたが、お休みに」
「そうか」
「柚木様のお布団もお隣に敷いておきましたので。ご一緒のお部屋でお休みにと」
ずっと黙っていた柚木が行った。
「あの子は僕を覚えているだろうか・・」

隣の部屋との境の襖が開いた。子供が顔を覗かせた。子供は大人達の話し声で目が覚めたのだ。子供はじっと柚木を見詰めた。柚木も子供を見詰めた。やっと小学生になったばかりの子供の顔は父の忍野にそっくりであった。柚木はそっと子供に呼びかけた。
「桐生(きりゅう)・・」
じっと見ていた子供の目に不思議な光があふれた。子供は自分の倍の背丈の柚木に駆け寄りしがみついた。
「おかえりなさい」
あどけない声が言った。柚木の目から涙があふれた。柚木は弟を抱きしめた。
「ただいま、ただいま・・桐生・・」
涙で喉に声がつかえた。傍らで様子を見ていた早乃も前掛けで顔を覆って泣き出した。三峰は微笑み、東士に言った。
「明日の夕方、迎えに来る。それまで頼む」
「かしこまりました」
東士の目も涙でうるんでいた。

桐生が柚木を即座に兄と解ったのは、佐原の夢の力のお蔭だった。幸彦は真彦とも会おうとしない柚木の心の傷を気にかけていた。そして柚木が弟の桐生の事をとても可愛がっていたのも知っていた。だから密かに桐生に柚木の夢を送っていたのだ。兄の存在を忘れぬ様に。それも幸彦の罪滅ぼしのひとつであった。

五年ぶりの再会を果たした兄と弟は、次の日の午後までを共に過ごした。桐生はいつもそうであったかの様に柚木に甘え、柚木は桐生の笑い声を聞くと幸せな気持ちになった。小さな手の感触、まだミルクの匂いが残るような柔らかい肌のぬくもり、すべてを自分に預けてくる無垢の信頼。かつての自分も、こうして父に甘えていたのだろうかと、柚木はぼんやりと思っていた。柚木は幸福でいながら、胸のどこかで痛みを感じていた。

夕刻になると、三峰が迎えにやって来た。柚木は再び黒塗りの車に乗せられ、朱雀のマンションへと運ばれた。自室に戻った柚木は、妙に明るい部屋を見渡した。故郷は緑と土の匂いがしていた。ここには何もなかった。クリーム色の清潔な部屋の真ん中に座り込むと、やりきれない思いが込み上げて来た。

別れ際に柚木の上着の裾を掴み、せがんだ桐生の言葉が柚木の胸を切り裂いた。
「早くおかあさんの所へ帰ろうよ」
桐生は何故に兄が村を出たのか知らないのだ。あの出来事があった時、桐生はまだ乳飲み子であった。桐生は大きくなり、ますます忍野の面影を色濃くしていた。失ったものは大きく、残された者と離れがたい想いもつのる。なのに柚木の中には消せない痛みがあった。どうしても柚木は、母である麻里子を許せなかった。悩み苦しむ父を助けようとしなかった母を。

柚木は泣いた。泣く事は恥ずかしいと思っていた。だが今は身体の中が溶けて流れ落ちる様に、涙があふれて止まらなかった。柚木の心も崩れそうな程に涙に満たされている気がした。柚木は泣く事に自分をゆだねた。それだけが、今の悲しみから抜け出す為の最上の方法だと、柚木は思った。




(続く)
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Last updated  2007/10/03 04:50:01 PM


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