カテゴリ:金銀花は夜に咲く(完結)
穏やかな一日だった。 嵐の前の静けさである。 柚木は、自分の行動が引き金となり、村が急速に崩壊していく気配を、肌で感じ取っていた。村人の感情を直接に”痛み”と感じる幸彦と真彦に比べれば、微細であったとしても。憂鬱な気持ちでありながらも、柚木は百合枝とお茶を飲んだり、幼い紫苑の相手をしたりして、表面上は何事もなく時間を過ごしていた。 風が吹いた。 風は上の階から吹いていた。 柚木は三階への階段を上がっていった。廊下の先に朔也の部屋があった。扉が少し開いていた。柚木は中を覗いてみた。敷物の上に朔也は腹ばいになっていた。上半身は黒い袖なしで、下は柔らかい木綿の生成りのズボンだった。足を交互に天井に蹴上げている。素足の指先が仄かに薔薇色を帯びている。美しい者はこんな所まで美しいのかと、柚木は思った。 思い切って扉を開け、柚木は声を掛けた。 「朔也さん、何をしてるの?」 「・・運動」 朔也は少し顔を上げ、柚木を見て微笑んだ。その微笑が、柚木の胸に甘い痛みを呼び起こした。記憶の中の微笑に酷似している。だがそれよりも無垢で無邪気な笑みだった。 「身体と、話してる・・どこを、どう鍛えたら良いか」 (忍野はそういう事が得意だった) 柚木は朱雀の言葉を思い出した。 「柚木・・やってみる?」 「うん」 「上を脱いで・・その方が、いい」 柚木は素直に従った。朔也のしなやかで均整の取れた身体に比べ、ひょろんとして貧弱な自分の身体が恥ずかしかった。育ち盛りの身体は急速に背が伸び、クラスの中でも三本の指に入る長身になっていた。それでも朔也の方が背が高かった。朔也は柚木の身体をじっと見た。何故か柚木から羞恥が消えた。暖かい目が柚木を見ていた。その目を柚木は知っている気がした。 朔也が頷いた。 「・・このへん」 朔也の指先が柚木の背中をなぞった。くすぐったくて柚木は身をよじった。 「・・ごめん」 「ううん」 朔也の指先は優しく柚木の身体の上を移動していった。朔也がぽつりとつぶやいた。 「大きくなったな、柚木」 それはいつものおっとりとした口調ではなかった。柚木を慈しんでくれたあの人の言葉だった。柚木はたまらなくなり、朔也にしがみついた。 「お父さん、やっぱりお父さんなんだね?」 朔也は茫然として柚木を見た。 「分からない・・」 「お父さんだよね?」 朔也は怯えた目をした。柚木を震える手で押しやった。 「・・私は、竹生様の人形で・・私は・・」 朔也は両手で頭を抱え、がっくりと床に膝をついた。朔也は叫んだ。 「分からない、分からない!!私は・・!!」 朔也は泣き出した。 「私は、わたしは・・・・・誰?」 風が吹いた。 荒々しく扉が開いた。影がすべり込ん来た。 竹生だった。竹生は朔也を抱き起こした。 「朔也、落ち着け。お前は朔也、私のものだ」 「ああ・・竹生様・・」 朔也は泣きながら竹生にすがりついた。柚木は動く事も出来ず、目を見張ったまま、その様子を見ていた。 「柚木」 無慈悲な夜の声がした。柚木の全身が恐怖に凍りついた。 「朔也に、二度と近づくな」 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/07/28 06:52:33 PM
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