カテゴリ:社長の息子(完結)
車は豪華なビルの地下へと滑り込んだ。明るいエントランスの前で停車した。金に縁取られた硝子のドアが開き、薄茶に太い臙脂の線の入った制服を着たボーイが出て来て、恭しく車のドアを開けた。三人が降りると、朱雀はボーイに笑いかけ、何かを言った。ボーイとは旧知の間柄である事が拓人にも感じられた。朱雀は素早くボーイに紙幣を握らせた。そして彼の開けてくれた硝子戸の奥へと進んでいった。柚木も拓人もそれに続いた。 フロアには暖色の光が溢れ、絨毯はふかふかで、何処もかしこも拓人の知らない贅沢さに満ちていた。淡い色の背広の朱雀はその場に似つかわしい存在だった。高価な服を着ているからではない、自然なのだ。たとえ密林を裸で歩いていたとしても、朱雀は何処までも朱雀で、その場に馴染んでしまうのでないかと、拓人は思った。柚木と拓人は学校の制服のままだった。柚木の方が少し背が高かった。拓人は柚木の柔らかく波打つ髪に羨望を感じた。拓人の髪は真っ黒で真っ直ぐで、襟足で切り詰められていた。七三に分けられた前髪はやや長く、頬のあたりまであった。 フロアの先にショッピングアーケードがあった。どれも大きな店構えではないが、厳選された品物を取り扱っている。朱雀は紳士服の店へ入っていった。ジレを着けた品の良い老人が朱雀をにこやかに迎えた。 「急ですまないが、この子達にスーツを見繕ってくれないかね?」 老人は二人を見て頷いた。 「よう御座います。丁度良い品が届いた所でして」 さっさと老人は二人の採寸を始め、奥にいた青年に何着かの見本を持って来させた。朱雀は店の隅の肘掛け椅子に寛ぎ、柚木と拓人を並べて立たせ、見本を当てさせたり、老人の説明を聞いたりしながら、楽しそうな顔をしていた。候補が決まると二人は試着室へ押し込まれた。拓人は背広など着た事はなかった。老人はシャツやネクタイも揃え、さりげなく拓人の着替えを手伝った。ネクタイも結んでくれた。やがて鏡の中には小粋な姿が映っていた。 (悪くないよな) 拓人は鏡を見ながら思った。 店内に戻ると、朱雀が笑顔で言った。 「いいね、二人とも一人前の若い紳士だ」 店を出て、エレベータで最上階へ上がった。廊下の突き当たりに厚いオーク材の扉があった。先頭の朱雀がたどり着く前に扉は開かれた。三人は奥へと進んだ。黒服の男が朱雀に当惑した顔を向けた。 「失礼ですが、ここは」 朱雀は軽く片目を瞑ってみせた。 「今日は社会見学だ。大目に見てくれないか」 「かしこまりました。どうぞこちらへ」 薄暗い室内は観葉植物や衝立でそれとなく仕切られ、その間に間にソファやカウンターや酒瓶の並んだ棚がちらりと見えたが、どういう構造になっているのか、拓人には良く解らなかった。拓人は小声で柚木に尋ねた。 「ここ、良く来るの?」 「僕も初めてだよ」 柚木も小声で答えた。 通されたのは個室だった。部屋の一面が床から天井まで窓になっていて、夕暮れの街が見渡せた。漆黒の楕円形の卓を囲んでソファや肘掛椅子が具合良く配置されていた。窓際に眼鏡をかけた男が立っていた。男は朱雀を見て頭を下げた。朱雀は男に尋ねた。 「和樹は?」 「少し遅れて見えるそうです」 「では、キミにこの子達の相手を頼む」 「承知致しました」 朱雀は二人の方へ向き直った。 「私は別室で用事がある。それを済ませたら戻って来る」 「はい、朱雀おじさん」 柚木が即座に答えた。朱雀は柚木に頷いてみせた。拓人は黙っていたが、朱雀は拓人にも同様に頷いてみせた。柚木と平等に扱われている事が拓人を満足させた。 男は赤荻(あかおぎ)と名乗った。朱雀の秘書だと言った。赤荻は二人を窓の景色が良く見えるソファへ案内し、自分も椅子のひとつに腰を下ろした。 「窓からの景色が綺麗だね」 グラスを手にしながら柚木が言った。虹色の輝きをみせるカットグラスは重みがあり、拓人の手に心地良く馴染んだ。中の琥珀色の液体はジンジャーエールではあったが、それも今まで飲んだどのジンジャーエールとも異なる、生姜の新鮮な香りと細かい泡の刺激が爽やかな飲み物であった。 「この店でも眺めが良い部屋のひとつです」 穏やかな口調で赤荻が言った。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/01/26 12:56:01 AM
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