カテゴリ:社長の息子(完結)
赤荻が気をきかせて、幾つかの料理を運ばせた。小さなサンドイッチ、コールドミートや果物、チーズで誂えた小品等だった。育ち盛りの二人は喜んで平らげた。拓人にはどれも珍しく美味な物ばかりであった。拓人は柚木と再びとりとめのない話をしていた。拓人は柚木が好きになりかけていた。何も自慢しない。しなくても柚木が上質の人間である事が伝わって来た。何処かに朱雀と共通する雰囲気を感じさせた。 (伯父と甥だから?それが血ってやつか?) 自分の問題から、拓人はあえて目をそむけようとしていた。初めて尽くしの体験の中で、自分の住んでいた世界の狭さを、拓人は思い知らされていた。 「あのビル」 幼い拓人の手を引いた母親が、高層ビルのひとつを指差した。 「あの会社の社長が、お前のお父さんだよ」 母親と二人の生活は裕福とは言えなかった。収入の大半は、水商売の母親のドレスや化粧品に消えた。冷えた弁当が拓人の主食だった。それでも母親は拓人を大事にしてくれた。粗末な食事でも、腹一杯食べさせてくれた。いつも清潔でこざっぱりした身なりにさせてくれた。拓人も母親の愛情に報いる為、努力を惜しまなかった。優等生である事が最大の武器であると悟ってから、拓人はますます努力した。敵を作らないように争いを避ける事も覚えた。だがそんな自分に苛立ちも感じてもいた。何かを変えたいと願う気持ちも、日増しに強くなっていた。そして決行した朱雀への訪問であった。 「待たせてすまなかったね」 戻って来た朱雀は、二人に詫びると、椅子のひとつに腰を下ろした。柚木が聞いた。 「もういいの?朱雀おじさん」 「仕事は終わりだ」 朱雀は拓人に笑顔を向けた。 「後は、拓人の為の時間にした」 拓人は咄嗟に返事が出来なかった。朱雀がどういうつもりなのか見当が付かなかった。 「さて」 朱雀は運ばれて来たグラスを手にした。グラスには琥珀色の酒が揺れていた。 「新しい出会いに乾杯しよう」 朱雀はグラスを掲げ、二人を促した。柚木は同じ様にグラスを掲げた。拓人もそれに習った。グラスの触れ合う澄んだ音が響いた。 夕暮れの街を、黒塗りの車は静かに走っていた。先程と同じに朱雀と柚木の間で拓人は緊張していた。車は拓人の家へと向かっていた。車に乗り込むと住所を尋ねられた。拓人が答えると、朱雀は軽く頷いた。車はすぐに走り出した。運転手の顔は見えなかった。助手席には赤荻がいた。同じような黒塗りの車が後に続いていた。柚木はそれに気がついていたが、拓人は気がつかなかった。これから何が起きるのか、その方に気を取られていたからである。朱雀は母親と顔を合わせて、自分の処遇をどうするつもりなのだろう。母の事も含めて。まだ朱雀は拓人の事を息子と認めたとも認めていないとも言っていなかった。 古ぼけた2階建ての木造のアパート。1階の一番隅が拓人と母親の暮らす部屋だった。大通りから少し入った路地には人影はなく、隣には先頃家屋が撤去された空き地があり、まばらに雑草が生えていた。アパートの各々のドアの上に点った電球も曇りがちで、ちりちりと揺らめいていた。 拓人が呼び鈴を押した。 「母さん、ただいま」 拓人の後ろに少し離れて、朱雀と柚木は佇んでいた。鍵の回る音がした。灰色のペンキが所々剥げたドアが開き、女が顔を出した。茶色に白髪が混じった髪を無造作にかき上げ、ピンで止めてある。薄い胸を薄い水色のガウンが覆っている。白い顔は青みを帯びて不健康そうに見えた。 「母さん、俺の親父を連れて来たよ」 女は黙って拓人を見ていた。拓人は母親から目を離さず、片手で後ろを指差した。 「母さん、俺の親父なんだろ?この人が」 女は目を細めて朱雀を見据えた。白い顔には感情と呼べるものはほとんどなかった。拓人は母の態度にあせりを感じ始めた。 「ほら、あの会社の社長だよ。母さんが言ってたじゃないか。お前のお父さんは、あそこの社長だって」 「ああ・・」 興味がなさそうに女はつぶやいた。母の何時にない異様な様子が拓人を不安にした。 「母さん?」 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/03/08 01:14:18 AM
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