カテゴリ:白木蓮は闇に揺れ(完結)
朱雀は言った。 「キミは、人が青い炎で包まれたように、見える時があるのではないかね」 マグカップを支える詩織の手に力が入った。詩織は朱雀を見た。朱雀の目は穏やかで優しい光を湛えていた。朱雀に詰問も非難もするつもりがないのが解った。詩織はためらいながら尋ねた。 「鍬見(くわみ)さんに聞いたのですか?」 「いや、私は鍬見とは話していない」 「では、どうしてその事を?」 「百合枝も同じ力を持っている」 詩織は驚いた。 「百合枝さんも?」 朱雀は頷いた。 「キミ達の曾祖母が持っていた力だ。キミが持っていても不思議ではない」 詩織の曽祖父と曾祖母に関して、朱雀はまだ語りたい事が多くあったが控えた。いずれその機会は来るだろうと、朱雀は思った。今は先に伝えねばならない事があった。 「百合枝には、もうひとつの力がある。『奴等』の毒を浄化出来るのだ」 「毒?」 「鍬見を救ったのはキミだ」 「私が?」 「『奴等』の毒は普通の方法では解毒は無理なのだ。キミの力が鍬見の毒を浄化し、鍬見は生き延びたのだ」 詩織は鍬見の身体のあちこちに見えた緑の光を思い出した。 (あれが、毒だったのかしら) すべては無意識であった。自分が何をしたのかもおぼろげにしか思い出せない。気が遠くなって、気がついたらこの病室にいた。 「私、解らないわ」 朱雀はいたわるように言った。 「あせらなくていい、今はキミと鍬見が安全だという事だけが理解出来ればいい」 「でも、鍬見さんは罰を受けると」 今まで黙っていた寒露(かんろ)が口を挟んだ。 「”盾”の掟を弟は破った。回復次第、しかるべき場で裁かれる」 不吉な思いで一杯になり、詩織は叫んだ。 「これも幸彦様の指図なの?」 朱雀の顔から笑みが消えた。朱雀は”外”のお役目の長としての顔になった。 「幸彦様は、こんな事は望んでおられない」 詩織は食い下がった。 「では、どうして」 「”盾”の掟は絶対だ。それ故の苦渋の選択なのだ」 詩織の胸に村への嫌悪が広がった。最初から二人を隔てていた壁、その頂点にいる幸彦という存在。何も知らずに幸彦の好意を受けた。それが彼の”想い人”という扱いになった。あるじの想い人を略奪した部下という汚名と罪状が、鍬見に被せられた。ただ、二人の心が通じ合っただけなのに。再び強張った詩織の顔を見て、朱雀は首を振った。 「幸彦様はご存じなかったのだ。キミと鍬見の事を。あの方は今、傷ついておられる」 詩織は言い返した。 「傷ついているのは、鍬見さんです」 「いや、キミには説明していなかったな。あの方は人の負の感情を身体の痛みとして受け取ってしまうのだ」 「そんな事がありえるの?」 「そうだな、いきなり信じろと行っても無理だろう。キミは憎しみをあの方に向けた。あの方にはとても辛い事だ。あの方は後悔による心の痛みと、キミからの憎しみによる肉体の痛みと、その両方に苛まれているだろう」 寒露が呼んだ。 「詩織」 詩織は愛しい人の兄を見た。 「お前は弟の為に、何もかも捨てる覚悟はあるか?」 寒露には何か考えがありそうだった。 「何もかも?」 「家も家族も職も名前も、今のお前のすべてを」 詩織は胸を張って答えた。 「それで、鍬見さんが助かるのなら」 「百合枝や朱雀殿にも、逢えなくなる」 詩織は朱雀をちらりと見た。朱雀の顔には温和な笑みが戻っていた。 「私達は、何よりもキミの幸せを願っている」 深く豊かな声が言った。その声に背中を押され、詩織ははっきりと言った。 「鍬見さんと共に生きられるのなら、捨てます」 寒露は満足げに微笑した。 「その決意、聞き届けた」 詩織は不意に疲れを覚え、ぐったりと背もたれにしていた枕に沈み込んだ。朱雀は詩織の手からカップを取ると、テーブルに置いた。しばらく病室には沈黙の時間が流れた。それには当初の重苦しさはなかった。それは何かを越えた後の静けさに似ていた。気持ちが落ち着くと、詩織は幸彦への態度に後悔を感じ始めた。気が進まないのに誘いにのった。幸彦や周囲に誤解を招く行動を取ったのは自分なのだ。 「朱雀さん」 「何だね」 「幸彦様に謝りたいの。私、気が立って酷い事を」 「解った。さっそく伝えて来よう」 「俺がここにいる。誰が来ようと指一本たりとも詩織には触らせない」 寒露はあえてひょうきんに言った。 「金谷が診察に来た時は、そうだな、必要な分だけは許してやる」 朱雀は寒露と目配せした。先程の「聞き届けた」の意味を正確に理解しているのは、この二人のみであった。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/11/27 09:54:06 PM
[白木蓮は闇に揺れ(完結)] カテゴリの最新記事
|
|