カテゴリ:絶対存在論
神の存否-278
精神の因果律からみて、その経緯は我々が普段に感じている精神精神の自由は寧ろその自由を裏切るように思えます。まして人間組成が此の人類が在する宇宙である限りにおいては精神は、信仰・神秘主義を除けばその影響の範囲外には及びません。個々の出来事を原因として個々の出来事が生じる機械的・因果連鎖である水平的因果性と呼ばれるものだからです。いろいろな解釈、特に神の永遠性によって「垂直的因果性」と呼ばれるもがある。神の属性である永遠の瞬間という本性に規定されており、その属性に属するものは其の俯瞰性によりいかなる事物も生成する可能性が完全に規定されているとスピノザは看做します。どのような物体も、それを規定する物理法則によって規定された可能性に基づいて生成するようなものであるとするのです。 定理四八の証明 精神は思惟のある一定の様態であり(この部第二部の定理一一 人間精神の現実的有を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。により)、したがって(第一部定理一七の系二 単に自己の本性の必然性のみによって働くひとり神のみが自由原因である。により)自己の活動の自由原因でありえない、あるいは意志したり意志しなかったりする絶対的な能力を有しえない。むしろ精神はこのことあるいはかのことを意志するように原因によって決定されなければならぬ。そしてこの原因も同様に他の原因によって決定され、さらにこの後者もまた他の原因によって決定され云々(第一部定理二八 あらゆる個物、すなわち有限で定まった存在を有するおのおのの物は、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。そしてこの原因たるものもまた、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。このようにして無限に進む。により)。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。 哲学・思想ランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年01月02日 06時10分04秒
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