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河井継乃助が主君牧野忠恭に抜擢されて
改革指導者となった際 第一に掲げた理念を一口に言えば 「金儲けは藩のためになる。領民を豊かにしてこそ 藩財政が立ち直る機縁になる」というものだった。 それは備中松山藩儒の山田方谷から伝授されたという。 理財論の真骨頂かもしれないが、武士が経済というものを知って何になる と言われる時代においては、全く次元の違う発想だった。 長岡藩の藩是に「農民ににるども、商人に似るな」という武士の規律がある。 それを改革の目的のために簡単に捨て去った河井継之助は勇敢であった。 「経才が忠義につながる」としたところに発想の転換があったのだ。 ただ継之助は経才とはいわず「経理」といった。 理は本質であり、また道義でもある。 ちょこざいな才覚だけでは世を直すことはできないとしたところに 継之助の風雲児らしきところがみえるのである。 継之助はいう。 「金儲けが、自分(自藩)だけのものであってはならない」また、 「社会のため、人類のためのものでなくてはならない」と、 越後の一介の改革者の主張をした。 (本文より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年08月25日 06時02分14秒
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