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セラピストMASAの「心の旅日記」

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2012年04月23日
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 光も闇もすべてが通り過ぎれば、薄っすらとした思い出として懐かしさすら覚える光景。


 静かな安らぎ。


 自分の世界が限りなく豊かな世界だったことを知る。


 ああ、すべてはある。


 ただ、ある。


 それは愛の姿だ。


 相対の世界、無限の投影体として保障された世界である『大いなるすべて』(オールザットイズ)。


 その背後に潜む宇宙で唯一の実態、絶対の『ワンネス』。


 でも、ある意味でそれらは等価値なのだ。


 究極の『ワンネス』も。


 白猫が通りざま、すりっとほおをすり寄せていくぬくもりも。


 かつて流した悲しみの涙も。


 宇宙的視点ではある意味、等価値なのだ。


 すべてがあるがままにあることを許し、受け入れた時、自分自身も受け入れたことになる。


 いや、でも、おそらく世界で最も受け入れないでいる相手が自分自身なのだ。


 私なりに表現させてもらうなら、自分自身の受け入れとは、自分の心にぽっかり空いている虚無の穴、その恐怖を埋めるために狂気の欲望に取り付かれて暴走して満たされようとすることでも、逆に時代背景を元にした道徳律や社会規範にがんじがらめに縛られて安心しようとすることでも無い。


 それを行っている最中の夢中さで一時しのぎにはなっても、結局、それらのことで満たされ切ることは無い。


 むしろ、後々まで残る問題と後悔を山積みにして、新たなるマッチポンプに陥るだけだろう。


 自分自身を受け入れるということは。


 ただ、自分の本質に寄り添い、その調べを奏でてやるということだ。


 自分を制限しないで、自分という和音であることを、自分に許すということだ。


 それを内面に抱き、外面に発揮して生きるということだ。


 この世での具体的な形というと、それは人によって様々だろう。


 様々な側面にもわたるだろう。


 それ自体も変化していくのだろう。


 でも、そこには真の意味での調和がある。


 自分自身と調和し、宇宙と調和した姿がある。


 その瞬間、両者は一致している。


 自分が宇宙であり、宇宙が自分である姿がある。


 自分に対する最も深い愛の姿がそこにある。


 でも・・・人はそれをなかなか自分に許さない。


 多くの人が、自分に取ってのまがい物に頼って安心しようとする。


 自分の本質を生きることが、なぜか一番恐ろしいこと、最も恐怖の対象となってしまっている。


 これは・・・人類という種族の大半を、今までの制限の多い、苦難を重ねて、やっと果実を実らせることができるかどうか、そんな人生経験とその価値を得るという「フィールド」に置いてきた時代の一つの刻まれた「機構」(オーガン)でもあるのだろう。


 でも・・・もはや時空間的にも、その時代では無い。


 望むものには、より正確に言うなら、それを自分で生きるものには、その扉は大きく開かれている。


 もはや、そういう時代なのだ。


 でも、何百万年にも渡って閉められていた扉が、いつの間にか開いていても、多くの人がそれに気が付かない。


 その意味すらわからない人が多いかも知れない。


 でも、その開いた扉から流れ込んでくる優しい風が、今までとは違う「フィールド」を生きていることを告げている。


 人々は、無意識の内に深い所では気が付いている。


 優しい風が自分のほおを、なでていっていることを。


 自分をいざなっていることを。


 その風を感じるほうに歩むがいい。


 湧き上がってきた恐れを踏みしめて一歩一歩。


 隠れた恐れが巧妙に指し示す「こっち」だという偽りの方角に惑わされずに。


 優しい風、自由な風、暖かい風、あなたをいざなう真の声に従って。


 すでに開かれている扉の方へと。


 自分自身を受け入れるということは。


 ただ、自分の本質に寄り添い、その調べを奏でてやるということ。


 自分を制限しないで、自分という和音であることを、自分に許すということ。


 それを内面に抱き、外面に発揮して生きるということ。


 そういうことだ。


 そう生きるがいい。


 最初の内は、おぼつかない足どりかも知れない。


 色々、もたついてもしまうのかも知れない。


 時には、惑ってしまうこともあるのかも知れない。


 でも、本当にそう生き続けるのなら。


 やがて、その道のりは確かなものとなる。


 遠からず門の前までたどり着き、そこをくぐってしまう。


 もはや引き返せない、自分に取っての真実の愛を生きる。


 そうしたら、あなたは気が付くだろう。


 自分が至上の愛を生き体験していたことを。


 これ以上無いくらいの深い深い感動と喜びと共に。


 幸せそのものを生きていたことを。


 自分が自分という愛そのものであったことに。


 あなたはきっと気が付くことだろう・・・。
 
 




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Last updated  2012年04月23日 13時00分26秒
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