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宇宙の真理を、衛星軌道に打ち上げられた望遠鏡でとらえた宇宙の果ての姿に探す人もいる。 宇宙の真理を、マヤの隠れた石版の中の古代文字の中に探す人もいる。 宇宙の真理を、物質の粒子構造の最小単位に探す人もいる。 宇宙の真理を、チャネリング等の宇宙人情報の中に探す人もいる。 でも、宇宙の真理は、ふと見上げた先にある風に揺れる葉っぱ一枚の中にもあれば、差し出した自分の手のひらのぬくもりの中にもあり、ニャーと鳴いて飼い主に擦り寄ってきた猫の鳴き声の中にもあるものなのだ。 いや、多くの人が一生懸命、特別の中にその答えを見出そうとして、それこそ世界の果てまでも探しに行くのだが、宇宙の真理は、普通の中にも、いつも目の前に、絶えずそこにあるものなのだ。 ただ、気が付かないだけで。 存在しているということそのものが、宇宙の真理だと感じたことはあるだろうか? 存在しているということそのものが、問いかけへの答えそのものだと感じたことはあるだろうか? 比喩や一般論を言っているわけでもないのだ。 「存在している、ありがたいね」・・・それもとても尊い認識だ・・・でも、もっと奥深い真実をここでは言っている。 感じたことはあるだろうか? そべての背後に潜む「それ」を。 すべての人、すべての存在、すべての時空間が「それ」の投影でしかない「それ」を。 そして自分の究極の正体が「それ」であることを。 万生世万物の究極の正体も「それ」であることを。 「神」が同じ「神」とリアルな幻影の中で戯れているに過ぎない姿を。 究極の「愛」を生きている姿を。 そして究極の「愛」そのものでもある姿を。 言葉が消えていく。 行為も消えていく。 自他すら消えていく。 世界も消えてしまう。 ただ「それ」となる。 後には何も残らない。 でも・・・わかっている。 私は帰って来る。 最後には、普通の日常を自然に生きている私がこの世に残る。 ただ、微笑みながら。 宇宙の真理そのものを生きている姿。 さりげない、日々の中で・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年04月26日 11時18分20秒
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