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とても深い真実。 でも、当たり前で普通で自然なもの。 『ワンネス』という究極の姿はわかった。 そこへ還元されてしまうことを、人生の究極のゴールにしている人も多いのだろう。 でも、私に取ってのゴールはそこではなかった。 どうしたら、どのような姿が、あの絶対の『ワンネス』と、相対の世界の人の世での私という個性を持った「人間」との折り合った、私の望む生き方が結実された姿なのだろう? 何度かそう生きているらしい未来の私の一つの可能性のビジョンを見ていた。 でも、そこまで行ききれない自分にも煮立ちを覚える。 それでも段々、何かが染みて来るように。 何かに浸されていくように。 寄せては返す波に揉まれている様な中で。 確かな実感が訪れ始めた。 その場所に押し流されていく船に乗っている自分がいる。 そして・・・いつか必ずたどり着くのだ、その場所に。 それがいつのことなのかを知ることは、人知を超えているのだけど。 そんなに遠い日のことでもないという感覚もある。 むしろもはやこの局面まで来てしまえば、手放せば手放すほど、その大いなる流れは船を着実に運んでくれる。 最後の最後まで私がしがみついているものがむしろ船を留めている。 その最後までしがみついているものとは、多分、人間性に基づいた「やるせなさ」のようなものなのだ。 言葉を変えて言うなら「今ここ」を受け入れ切れていないのだ。 自分の人生と自分自身を「完全に全面的な自己受容」し切れていないのだ。 でも・・・その自分自身でさえ、裁くことを止めた。 何だろう? 静かに静かに。 優しく優しく。 確かに確かに。 私は運ばれているのだ。 私を運んでくれている船は。 光り輝く手で出来ていた。 何本もの何本もの光り輝く手が。 私の真の願いをくみ取り。 私を支え、私を運んでくれていた。 それは美しい・・・本当に美しい光景だった。 涙がにじんできた。 こんなにも私が愛されていたことを・・・私は知らなかった。 そう、知らなかったんだよ・・・私は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年05月08日 10時30分20秒
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