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セラピストMASAの「心の旅日記」

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2012年06月29日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「ビリーフシステム・No1」 の続きです。


 さて、前回の続きの話しをしよう。


 なぜ、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を繰り返すことを選んでしまっている人が、その人のビリーフシステム(信念体系・観念体系)を変えて、体験している現象を変えることが出来ないのか(変えようとはしないのか)。


 普通、こういう人は意識の深い所において、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を繰り返すことの方が、自分の生存に取って「メリット」があるという判断をしている。


 そういう「条件反射」を自分に課してしまっている。


 そしてその自分で実行しているプログラム通りに、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を創造し続けている。


 機械なら、ちゃらっとプログラムを書き換えれば済む話しだ。


 (書き換えが可能な機械で、なおかつ書き換える内容のプログラムが手元にあるようだったらの話しだが)。


 普通は人間はそう簡単にはいかない。

 
 なぜなら人間のその人が体験している世界を創り上げているプログラムは、思考・感情・意志・肉体・その他諸々、そういうものの相乗効果で成り立っているからだ。


 一言で言うのなら「世界観」とでも言ったものになるのだが、世間一般で言っている「世界観」は知的理解の意味合いが強いと思う。


 しかし、ビリーフシステムとは、とても砕いた言い方をすると、その人の「実感」「体感」で出来ている。


 これを人は普通「現実」と呼んでいる。


 その人に取って間違いなく世界は「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」のことを指しているのだ。


 それこそがその人が味わっている「現実」なのだ。


 その人に取って、そこに疑いの余地は無い。


 間違いなく、その人は「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を味わい続けているからだ。


 鍵となっているのは主に「感情」である。


 人間に取っては、「感情的理解」の方が真実なのだ。


 そして感情とは、その人の持つ信念・観念に対する条件反射的反応で生じるものなのだ。


 「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日が続く」人が、自分のビリーフシステムを根本から変え、自分が体験している現実を変えることは、例外はあるのだが普通はそれなりに大変だ。


 と、言うのもこういうことが起こるからだ。


 原理的には実に簡単なんである。


 それをすっと実行できれば、上記の(良い意味での)例外の人になる。


 自分のビリーフシステム(信念体系・観念体系)を変え、条件反射を変え、感情的反応を変え、「世界はこういうものだ」という「世界観」を根本から変え、世界を創造しているプログラムを変え、自分自身の実感を変えれば、「そうなる」。


 例えば、「宇宙は安全で、安らぎに満ちた場所です」というように。


 本当に心の底から実感すれば、そうなっている。


 が・・・こういう人は、その多くが「その状況が先に訪れてくれたら、そしてそれがずっと続いてくれたら、信じる」という風に考える。


 皮肉だが、これは「プログラムをまったく変えずに、プログラムを実行した結果を変えてくれ」と言っているのに等しい。


 確かに非常に例外的なこともありうるのだが、まあ、まずそうはならない。


 先に変えなくてはならないのは、プログラムの方なのだ。


 違うプログラムを実行すれば、結果も変わる。


 そうすればいわゆるその人が経験している「現実」も変わる。


 こういう状況の人の多くが、明日、ばら色の未来が訪れることを願う。


 苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くことを。


 心情としては深く理解できる。


 まったくそういうことが無いとは言えない、可能性としてあることはあると言える、しかし、確率的には非常に低い。


 なぜなら、自分が変わっていないのに、世界が変わるということは基本的には無いからだ。


 自分が体感している世界を創り上げている幻影のプログラムのプログラマーは自分なので。


 こういう人はある意味で、自分の責任を回避してしまっている、一種の自己逃避の状態にある。


 究極の自分の正体が「神」であること、世界の創造者は自分であることから、逃げ出そうとしてしまっている。


 しかし・・・酷に聞こえるかもしれないが、世界の果てまで逃げても自分自身からは逃れられないし、時の彼方まで逃れても自分自身からは逃れられない。


 その人自身が向かい合うべきは、まずは自分で自分を縛り付けてしまっている恐怖の幻影であるし、さらに大切な向かい合うべきものは、真実の自分の喜びなのだ。


 もっともフォーカスすべきは「真実の自分の喜び」なのである。


 世界の創造主として創り上げた世界を変えるのは、自分の責任なのだ。


 創り変えたかったらの話しだが。


 さて、ものすごい感情的発露で「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」を願ったとしよう。


 起こるかもかも知れないことを三例だけあげよう(特にスピリチャルな感性や世界観が濃い人に起こりやすい事例で)。


 一例目。


 ドーンと光りの固まりようなものが降ってきて、光りの柱のようなものとつながり、多次元的なエクスタシーのようなものを感じる。


 それがしばらく続くが、やがて消えてしまう。


 その感覚があまりにもすばらしかったので、それが続くことを願うが何年も起こらない。


 これに類似した経験をした多くの人が、ここで深い絶望と悲しみを抱く。


 ここでネガティブなケースだと、自殺したり、麻薬や覚せい剤に頼って落ちていったり、あるいは怪しげな宗教団体行脚にあけくれたり、その他、自虐的で自滅的な行動に走る。


 そうでなかった場合、あるいは道をそれても何とか立て直した場合。


 その間に、人生色々あって、数年後(数十年後)に、まったく同じことではないが、似たような深い神秘体験が起こって、それが小出しに続く。


 また、人生で色々ある。


 自分が変わっていたのを感じている。


 しかし、どこにたどり着くのかよくわからないが、深い喜びにあふれている。


 まだまだ人生は続く・・・。


 てな、感じになる。


 さて、これが何かと言うと、ある意味でだが「未来を先取り」しているのだ。


 しかし、それを自分自身の全存在で体感し、表現する土台も素地も出来ていないのである。


 ある職人が若いころ自分で仕上げた仕事1000件の内、奇跡的に出来た至上の出来の1件のような状態の出来事なのだ。


 それが100件の内の1件、10件の内の1件、やがてやる仕事すべてが至上の出来、となるまで自分を磨き上げたという話しに似ている。


 しかし、最初のものと最後のものは、出来は共にすばらしくとも中身が違っている。


 最初の奇跡のものは「純粋」な出来だろう。


 しかし最後のものは何か「深み」を感じる出来だろう。


 「人生」を「生きた」というエッセンスがそこに凝縮されているからだ。


 最初の神秘体験と、最後の神秘体験は同じものでは無い。


 それこそが・・・「人生を生きる」ということの価値なのだ。


 個性を持ったその人の花開いた姿。


 様々な花の中のその一輪の花の美しさ。


 その人がたどり着いた場所。


 人生の果実。


 その実りを見てるのだ。


 二例目をあげよう。


 ものすごい感情的発露で「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」を願った結果。


 突然、何もかもを失う。


 何が起こったのかもよくわからず、人間関係、経済、社会的地位、恋愛や夫婦関係、その他。


 個人差はあるが、それなりにまたは全部失う。


 裸一貫で、ゼロから人生を生きなければならなくなる。


 もうわけがわからない。


 宇宙から罰を受けたのかと思ったり、暗黒のエネルギーに捕まったのかと思ったり、何もかもが嘘だったのかと思ったり、自分は人生の落伍者なんだと思ったり、その他色々思う。


 ここでネガティブなケースだと、先ほど述べたこととそんなに変わらず、自殺したり、麻薬や覚せい剤に頼って落ちていったり、あるいは怪しげな宗教団体行脚にあけくれたり、その他、自虐的で自滅的な行動に走る。


 そうでなかった場合、あるいは道をそれても何とか立て直した場合。


 ともかくゼロから自分の足で立ち上がる。


 その内、また別の知り合いや友人や、転々とするかもしれないが仕事や、別の恋人や、没頭できる趣味や、別の生きる場所が見つかったりし出す。


 前より地に足が着いて、それにバランスが取れた生き方をしてることに気が付く。


 やがて、前の恐怖はなんだったんだろう?


 もう、大概のことは怖くないし、「人生何とかなるもんだ」と自信も付く。


 やがて、本当に自分の生きたい生き方を見つけて、そちらにシフトしていったり。


 あるいはここで深い継続する神秘体験にいきなり遭遇したりする。


 まだ、未来はわからないけど、喜びの人生を歩むのだと言うことはわかっている。


 人生が続く・・・。


 てな、感じになる。


 こちらで起こっていることは、こういうことだ。


 「あなたの創り出している恐怖はあなたの創造物なのですよ。あなたは本当はゼロからすべてを創り出すことができる存在なんです。どんなマイナスの状況からでも建て直しは可能です。その能力を自覚し発揮できるようにしましょう。神である自分自身を取り戻しましょう。そしてそれを自覚した時、いかなる世界でも創り出せるでしょう」。


 これ、意外に聞こえるかも知れないけれども、一例目と二例目の起きていることの真髄は同じなのだ。


 宇宙は(すなわち自分は)「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」という願い(希望)をかなえるために、必要なことをしたのだ。


 別の言い方をすると、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を創り上げているビリーフシステム、そのプログラムをプログラマーであるその自身人が書き換えるために必要なこと、そのための出来事や環境を持ってきたのだ。


 ここ、多くの人が勘違いしやすいのだが、「明日、バラ色の人生が訪れろ」と願った場合、「明日、バラ色の人生が訪れる」のでは無く、「明日、バラ色の人生が訪れる」ためにその人が「変えなければならないこと」を提示し、推し進めることが訪れてくる。


 ちなみに宇宙的視点からは、善悪も無く、優劣も無く、ポジティブ(肯定的)もネガティブ(否定的)も無い。


 ただ「必要」だけが届けられる。


 より正確に言うなら宇宙が持っているのは、ただ「存在」だけなのだ。


 これ一例目も二例目も起こっていることは、宇宙的視点からは、ほぼ同じなのだ。


 おわかりになっていただけるだろうか?


 「ビリーフシステム・No3」 に続きます>






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Last updated  2019年04月23日 22時38分54秒
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