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「ビリーフシステム・No1」 、「ビリーフシステム・No2」 の続きです。 さて、前回の続きの話しをしよう。 三例目をあげよう。 三例目はこういうものだ。 ものすごい感情的発露で「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」を願ったとしよう。 そこで起こることは。 昨日と変わらず、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」がずっと続く・・・というものだ。 以下、一例目と二例目とほぼ同文である。 強いて言うなら「神はやはりいないのだな」とか、「やっぱり人生とはこういうものだ」とか、その手の思いに駆られやすいだろう。 これは、多くの人に取ってわかりにくいのかも知れないが、こういうことが起きている。 「あなたはあなたの願った通りの世界で生きていますよ」。 「あなたのプログラム通りに世界は展開しています」。 「あなたのビリーフシステム(人生を形造っているプログラム)は変わっていません」。 「ですので、あなたの体験している現実も変わりません」。 「それがわかるまでこのままです」。 一種の「放置」という提示の仕方なのだ。 「そのまんま」というある意味「究極の教訓」を提示されているのだ。 この一例目、二例目、三例目以外にも色々あり得るが、結局、提示されているものの真髄は同じなのである。 ここでの一つのポイントは「明日、何もかもばら色になれ」とものすごい感情の発露で願ったことにある。 要するに自分を苦しめているビリーフシステムの一瞬での全部取替えを願ったわけだ。 すると宇宙は(それは自分自身でもあるのだが)それに見合った体験を、普通はよこす。 一瞬ですべてを変えるべく、劇的に自分に迫る出来事が起きるわけである。 例外はあるし、すべてがそうなるとも限らなのだが、一般的に言ってそれは「劇薬」をいきなり投与するような現象になりやすい。 実はそれは本当にうまくとらえて扱えば、一日で自分の経験している世界を変えられるような出来事であるのだが(つまりそれをきっかけにして、自分のビリーフシステムを自分で根本から変更することが出来ればなのだが)、普通はそんなことは無理だ・・・だからそこから実感という至宝を得て、その人が体験している世界を変えるには、何年も(場合によっては何十年も)かかるといういささか皮肉な結果となりやすい。 なので、普通は無難な線で行くのなら、「少しづつ自分を変えていく」というのが、まあ、多くの人には、お奨めの方法なのである。 一応、念のためにこれも述べておく。 「明日、何もかもばら色になれ」とものすごい感情の発露で願うことが、本当に自分の道だと感じるのなら、ハートの奥からそう自然にわいてくるのなら、そうしたらよい。 その場合はそれがその人に取っての人生の正解である。 それで上記の3例やそれ以外のことも起きるかもしれないが、それはそれでよい。 あと、必ずしも上記のようになるとも限らない。 確かに本当に明日「何もかもばら色になった」という結果が来る可能性もあることはある。 その場合は大概、例外的なことが起きているのだが、その例外とは何なのかが気になる人もいるだろうから、これも幾例かの事例を後で述べておこう。 さて、話しを戻して、一般的に言って無難な線で行くのなら、「少しづつ自分を変えていく」というのがお奨めだ。 実際、多くの人がこの方法でしか変われない。 また、多くの人が無意識の内に、何だかんだいって採用しているのもこの方法なのだ。 これは言葉を変えて言うと、自分の体験を創り出しているプログラムを少しづつ変更していくということである。 <次回に続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年07月09日 06時14分52秒
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