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昭和15年(1940年)10月12日、大政翼賛会が発足しました。大政とは、もちろん、大日本帝国の統治者である天皇の行なう政治を指します。 近衛文麿は、新体制の具体的現われとして、大政翼賛会という大きな国民組織をつくり、軍の暴走を抑えようと考えたふしもあるようです。しかし、このお坊ちゃん的理想はすぐに潰えました。 軍の戦争完遂派は、これを逆利用し、大政翼賛の名のもとに、国民の意思を統一し、ひたすら、一億一心、臣道実践、聖戦完遂に向けられると、新体制なるものを歓迎しました。 大政翼賛会の看板(出典 Wikipedia) 政党人も、民政党、政友会、それに社会大衆党までもが、政党を解党して大政翼賛会に参加し、明治以来、民意を伝える唯一の道であった政党政治は、ここであっけなく消え失せました。 議会はあっても政党は無く、衆議院議員立候補者は、大政翼賛会の推薦を受けるか受けないか、の選択が残っただけでした。 当時、小学六年生の私は、政治については、まだよく分からないことがありましたが、日本も、ヒットラー率いるナチス・ドイツのようになっていくのかな、と感じていました。 ただ、それにしても、政府、軍、すべてを統括しておられる天皇陛下は、日本の進路をどうなさるお積りか、というところまでは、まだ、とても考えが及びませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
大政翼賛会発足によって、政党人も、民政党、政友会、それに社会大衆党までもが、政党を解党して大政翼賛会に参加したそうで、明治以来、民意を伝える唯一の道であった政党政治が、ここであっけなく消え失せたんですね。。。
そういう事があったのは、知りませんでした。 (2010年08月12日 16時21分15秒)
1年後-25年後、戦争はあってもなくても、政党消滅はあるかも。
(2017年06月15日 08時07分33秒)
今のところ、政党は決めたくありません。が、民主主義はあったほうがいい。
(2019年07月23日 20時54分51秒)
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