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2011年02月16日
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昭和21年(1946年)1月1日、新年にあたって、昭和天皇は詔書を出しました。

この詔書にはとくに題名は無かったとのことですが、一般には ”天皇の人間宣言” とか ”神格否定の詔書” と言われています。そして、その中に 「(ちん・天皇の第一人称)ハ神ニアラズ」 と書いてあるという人もいました。

しかし、”天皇の人間宣言” というのはマスコミが書いた言葉のようです。この詔書はかなりの長文で、その中の

朕ト爾等國民トノ間ノ組帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ

との部分を指して、”天皇が神格を否定した” と言ったようです。

近所の政治に詳しい人に聞いてみましたが、

     「これは幣原内閣が書いたのやろ。そして後ろには、GHQがいるのやろ」

と言っていました。この詔書の出た日に、マッカーサーは、この詔書に満足の意を表明しました。

詔書の全文は、小さい字で新聞に掲載されていましたが、一字一句読む気がしませんでした。実際そのころの我々は、明日の食べ物の確保だけで頭がいっぱい。正直な話、もうそんなことはどうでもよいという気持ちでした。

私がこの詔書の全文を読んだのは、しばらく経ってからのことです。この詔書は ”新日本建設に関する詔書” とも呼ばれていたと思います。「朕ハ神ニアラズ」 というような文言はありませんでした。

全文を読んでみて、率直に言って唖然としました。全文は最後に掲載しますが、わずか4年前に、国民に対して 「全力ヲ振ッテ交戦ニ従事セヨ」 との詔書を出した人が、今度は 「官民擧ゲテ平和主義ニ徹セヨ」 と、どうして言えるのか、と思いました。

昭和天皇は、この年、昭和21年(1946年)の2月から、神奈川県を手始めに、各地の巡幸を始めました。巡幸は次第に遠くへと、昭和24年(1949年)ごろまで続いた、と記憶しています。


         昭和天皇巡幸 広島 
             壇上に立つ昭和天皇(1947年 広島、出典 Wikipedia)

私は10年7月17日のブログに書いたとおり、戦前に昭和天皇を見ていますが、地方の人たちにとっては、直接に天皇を見ることなど無かったので、各地で歓迎されました。しかし、壇上で演説をするというようなことはなかったようです。


               昭和天皇巡幸 久留米 
          歓迎に応える昭和天皇(1949年 久留米、出典 Wikipedia)

戦前・戦中には、日本中のほとんどの家に、天皇・皇后の写真が掲げてありました。私の家にも、床の間の前の壁に掛けてありました。昭和20年(1945年)の秋、父はその写真の入った額を取りはずして、つぶやくように言いました。

     「明治さんは偉かったけど、このお方は、あかん人やったな」

明治に生まれ、苦労して店を持ち、いくばくかの資産もできて、これから楽をしようという年齢になって、無謀な戦争のために商売もできなくなり、食べる物にも事欠く世の中になって、父はすっかり気落ちしていました。

そして、「しばらく郷里へ帰ってくる」 と言って、田舎の実家に行ってしまいました。

            * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

昭和天皇の ”神格否定の詔書” といわれている、昭和21年(1946年)1月1日の詔書を、以下に掲載します。


                  新日本建設に関する詔書
                                     昭和二十一年一月一日

茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、

1.廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
1.上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
1.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
1.舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
1.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。

大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ難苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノナリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、旦徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。

夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ガ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ致スベキノ秋ナリ。

惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ヲ長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
 
然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、當ニ利害ヲ同ジクシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ組帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ。

朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時難ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又産業及文運振興ノ爲ニ勇徃センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉ト向上トノ爲、絶大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。

一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル國民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
 
 御名御璽

  





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最終更新日  2011年02月16日 12時00分02秒
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