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221ページから。うーん、謎が解き明かされて気分スッキリ大団円じゃ~とはいかなかった。聖書の中で最古のマルコ福音書はイエスの死体が忽然と消えた事実だけを記載していてそれは研究でも立証されている。あとは孤狸庵先生が繰り返し繰り返ししつこいほど言い続けた「事実」と「真実」の違いである。孤狸庵先生曰く、この「空虚な墓」事件でイエスは「無力なるイエス」から「力あるイエス」に変わったのではないか。「空虚な墓」の事実が弟子たちに「力あるイエス」を爆誕させ一気に「復活」を真実として蘇らせた、ということか?うーん、わかるけど衝撃的な何かじゃないなぁ、映画のラストシーンにはありそうやけど、それだけじゃピンときません。やっぱ4度目も読み込みが浅かったか、老眼だもの。本編はこれで終わり。残るは「あとがき」と「解説」です。ステッペンウルフ「ワイルドでいこう!(BORN TO BE WILD)」(1969年)、映画「イージー・ライダー」(1969年)から。まさかステッペンウルフで終わるとは、我ながらびっくり。(230613)
2023.07.25
217ページから。信仰でも生まれ変わりでもなくイエスは本当に復活したのか。当時の人々も嘲笑した復活を事実だと主張し続けた自信の真相は何なのか。孤狸庵先生がたどり着いた推理の結末は。次回、いよいよラスト4ページ。大大クライマックスだっちゅーに恥ずかしながらまるで覚えてないけど、1日4ページのルールに従いドキドキしながら明日までお預けなのだ。一体、孤狸庵先生が何度も繰り返して告げる衝撃的な出来事の真相は!ではザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」(1967年)。これも復活。(230612)
2023.07.24
213ページから。弟子たちがイエスが死んでやっと彼が何を伝えたかったか、師の真意がわかりはじめたことが語られるけど、やはり具体的な復活の謎は残ったまま。子供が死んだ母の姿を側に見るように、信仰心から師の姿を隣に見るという信仰による蘇りの解釈ではなく、彼らが生涯をささげ苦難にうちかつほどの意識を決定した衝撃的な出来事「復活」とは何か。いよいよ孤狸庵先生の芯に迫る推理がクライマックスへ。アリス「冬の稲妻」、ロックキャンディーズ時代が懐かしい。(230611)
2023.07.22
209ページから。自分たちが助かるためにイエスを売った弟子たち。弟子たちの命と引き換えに十字架刑にかけられ処刑されるイエス。そして卑怯な弟子たちが恐れたのは師が十字架の上で発する言葉だった。それは自分たち裏切り者を呪う怒りの言葉か。しかしイエスが発した言葉は弟子たちが想像もしなかった愛の言葉だった。この衝撃は心底打ちのめされますよね。マタイ福音書にはこの時のことを「まこと、この人は神の子なり」という感嘆の叫びで書かれているらしい。映画「バンディッツ」(1997年カーチャ・フォン・ガルニエ監督)から「Another Sad Song」が浮かんだ。懐かしい。(230610)
2023.07.20
205ページから。その秘密とは。不可思議なことは、弟子たちがゲッセマネから四散したとはいえ近くで状況を見守っていたのに誰一人捕縛されていないということ。イエスの一味として衆議会を敵に回してるのに不思議すぎる。その秘密とは、イエスがペトロに言った「夜が明けるまでに三度、私(イエス)を知らないと言うだろう」と告げる師の否認の話。実はペトロはカヤバ邸でイエスと同じく裁判にかけられ、衆議会との取引でイエスの否認と引き換えにペトロたち弟子グループは罪の放免を確約されたという考察。聖書に書かれた女中や人々の描写は実は隠喩ではないかという説。弟子たちはイエスを見棄て裏切り否認することにより命を助けられた。狸庵先生の大胆な推理はすっかり忘れてるけど、それが正解ならとんでもないことで、原始キリスト教団の指導者であるペトロの尊厳を擁護するためにもあからさまな表現は聖書で控えられたか。ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「裏切者の旅」(1976年)が始まる。(230609)
2023.07.19
201ページから。復活は生まれ変わり、再来説に納得したとしても、生前にイエスを理解できなかったポンコツ弟子たちがなぜ復活で師をいきなり理解し神格化できるほど変わったのか。その謎がまだ解けない。衝撃的な何かがあったに違いないと著者は綴る。聖書には露に書かれていない秘密は何か。何が起こったのか。孤狸庵先生の推理は如何に。アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」(1974年)、秘密つながりで浮かんできた。(230608)
2023.07.18
197ページから。復活とはなんぞや。生まれ変わりか?イエスは預言者エリアの再来に洗者ヨハネを想起し、ヘロデ王は殺害した洗者ヨハネの再来がイエスではないかと不安に駆られた。これを復活というのならユダヤ人の文化にも馴染み受け入れられる考えだと推察する。ちなみに僕も小さい頃、お爺ちゃんの命日と誕生日が近く生まれ変わりやとよく言われたのを思い出す。しかし疑問が残る。だとしたらイエスは誰に生まれ変わったのか?誰だ?聞こえてきたのは「ランブリン・ボーイ」(1964年)。生まれ変わってたらあの世で二人、旅できないな。(230607)
2023.07.15
193ページから。第十三章「謎」。いよいよ最終章。イエス復活から原始キリスト教へ読み解かねばならない謎。復活は事実なのか創作か。世俗にまみれたポンコツな弟子たちがなぜ目覚めイエスの真価を知るに至ったか。そして、クムラン教団やヨハネなどの洗礼教団をはじめ当時多数存在した預言者とそのグループの中でイエス教団だけがなぜ現実には無力無能だったイエスを救い主として神格化できたのか。聖書は何も語らず。狐狸庵先生の謎解きが始まる。ところで推理といえば挿絵から抜け出たようなジェレミー・ブレット扮するホームズが活躍するグラナダTVの傑作ドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」がチョーお薦めです。(230606)
2023.07.14
189ページから。受刑者は墓地に埋葬することも葬式も許されなかった。しかし衆議会議員のアリマタヤのヨセフがイエスの死体の引き取りを申し出て彼が所有する岩の墓地に埋葬された。マグダラのマリアと弟子ヨセフの母がその光景を見ていた。イエスの惨めな死を伝え聞いた弟子たちは彼を見棄てた心の痛みを引きずりながら現実には無力で役に立たないイエスの教えと真剣に向き合う時を迎える。ドノヴァン「ブラザー・サン シスター・ムーン」(1973年の同名映画主題歌・フランコ・ゼフィレッリ監督)懐かしい。(230605)
2023.07.12
185ページから。聖書の受難物語でのイエスはガリラヤでの宣教とは真逆に、奇蹟も起こせない無力の男として描かれ死ぬ。兵士はイエスの死を確認するため脇の下に槍を刺す。やっぱりロンギヌスの槍は死の確認のため使われたのだった。イエスが息絶えた午後3時、神殿から夕の祈りを告げるラッパの音が町はずれのゴルゴタの丘にも聞こえる。ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」(1968年)聴こう。(230604)
2023.07.11
181ページから。聖書によるとイエスが十字架につけられたのは正午で息をひきとったのは午後3時。その間イエスは自分を見守る人たちに余力をしぼっていろいろ話しかけたらしいが、聖書作家たちはその中から自分たちに意義あるものだけを抜粋したと推察する。なかなか死ねずに苦しみ続ける囚人のため兵士が剣で刺す場合もあるが、意識を麻痺させる苦味入り葡萄酒も拒絶したイエスは刺されたんだろうか。それがロンギヌスの槍なのか?それとも著者が話すようにすべての痛みを受けとめ、槍は死亡確認のために兵士が刺したものなのか。そしてゴルゴタの丘はそんなに高くないらしい。ビー・ジーズ「ワーズ」(1968年)、言葉しかない。(230603)
2023.07.10
176ページから。第十二章「主よ、み手に委ねたてまつる」。イエスが引き回された4月のイスラエルは日本の6月か7月の上旬の暑さで、映画等でも描かれる偶然に見物していた旅人のシモンが兵士に命じられて十字架を担がされてイエスを支えた。しかし聖書にはこの引き回しの描写が詳しくないのは弟子たちが目撃してないからで、それは彼らが見つかり告発されるのを恐れエルサレムに近づかなかったからだと推察する。イエスが十字架にかけられた(磔の方法が本書に詳しく解説されている)「ゴルゴタの丘」は当時はまだ誰も葬られていない新しい墓地で、現在は聖墳墓教会が建っている。場所も一致するらしい。もちろん合わないのは百も承知でマカロニウェスタン「南から来た用心棒」(1966年ミケーレ・ルーポ監督ジュリアーノ・ジェンマ主演)のテーマが鳴り響く。(230602)
2023.07.08
171ページから。ピラトは押し寄せた群衆にコール&レスポンスで処刑にするのはイエスかバラバか尋ね、処刑の責任一切をユダヤ人になすりつけた。衆議会は衆議会で群衆を煽動しイエスをユダヤの異端者ではなく反ローマの政治犯としてローマの刑法に基づく十字架刑を叫ばせた。イエスが連れて行かれるエルサレム刑場「ゴルゴタの丘」は「髑髏の丘」と訳されるらしい。そしてイエスが担ぐ十字架は横木だけで40kg、全体で70kgもあったらしい。エルサレムの4月の昼の日差しは暑くきびしい。次章、死のパレードが始まる。なぜだか、ふと、ヴァージンvs「サントワマミィ」(1981年)が浮かぶ。(230601)
2023.07.07
167ページから。イエスの運命は、カヤバ大司祭と衆議会、ローマ人の知事ピラト、ガリラヤ分国王ヘロデ・アンテパス、この三角形の保身や損得、心情感情の相関バランスがどこへ傾くかにかかっていた。一時は軽蔑し合うヘロデとピラトの見解が一致し釈放に傾いていたバランスが官邸に押し寄せた群衆を引き金に彼らの暴動を抑え納得させるために反ローマの反逆者バラバとイエスとの交換に傾く。この群衆が自然の動向かカヤバ大司祭の策略かと著者は疑問を投げかける。ブレないのはイエスのみ。吉田拓郎「来てみた」(1971年アルバム「たくろう オン・ステージ第2集」に収録)ライブバージョン、人間なんてららららららららら♪(230531)
2023.07.05
163ページから。ローマに反逆する政治犯として知事ピラトにイエスの死刑宣告を謀るカヤバ大司祭、一方、宗教犯としてローマに関わりのない事案としたい知事。下心を秘めた押し問答はイエスがガリラヤ人であることからカヤバと衆議会に有利な風向きになる。ほとんど忘れてたけど緊張の展開。この結果ありきの超スピード裁判を可能にしたのが過越祭だったとは!皮肉だ。2,000年経っても人は変わんないな。吉田拓郎「時は蠍のように」(1986年アルバム「サマルカンド・ブルー」収録)(230530)
2023.07.04
159ページから。第十一章「裁く人たち」。弁護人もつかないこの裁判が自分の死刑を前提に演出された逃げ場のない裁判だとイエスも知っていた。死刑にしたいが宣告権のないカヤバ大司祭率いる衆議会と宗教問題にして責任を逃れたいピラト知事のイエスの罪状のかけひきが始まる。うっすらと覚えてたり思い出したり間違えて思い込んでたり。在りし日の深夜ラジオ「誠のサイキック青年団」で知った桑名正博「月のあかり」(1988年)をめちゃ久しぶりに。(230529)
2023.07.03
155ページから。イエス逮捕の後でユダはどうしたか?逃げた弟子たちはどうなったか?著者考察ではユダはカヤバ大司祭に騙されたと知り自殺、弟子たちはツテを頼ってカヤバに助命を願い出て裏取引があって放免となった。なんか、イエスとユダは真逆の相似すぎる気もして辛い。弟子たちはここに至ってもちょっと濃いパンピー代表みたいな感じっすかね。裏切りつながりで甲斐バンド 「裏切りの街角」(1975年)懐かしい。(230528)
2023.07.01
151ページから。やっぱり。昨日書いたことはイエスはまるっとお見通しだった。自分が英雄的でもなく美しくもなく惨めで醜悪に死んでいくことを。ここでまたふりだしに戻る疑問。ユダが動かずイエス一人で死を選ぶならイエスはどんなシチュエーションを考えていたんだろう。それはどんな方法で?神殿での「宮きよめ事件」は空ぶったし。そこ知りたい。が、それはさておき過越祭を明日に控えた夜、イエスはユダの手引きによりオリーブ林のゲッセマネで緊急逮捕され早急に裁判にかけられる。過越祭が始まると裁判を開けないので夜のうちに裁かれるのだ。気分は映画「パプリカ」(2006年今敏監督・音楽平沢進)より「パレード」です。(230527)
2023.06.28
147ページから。イスカリオテのユダはカヤバの官邸に向かい、その後をイエスに失望した群衆が続く。銀貨30枚で師を売る有名なシーンの始まり。イエスが自分の死を前提に弟子の粛清と残った者たちの結束を促したと語るけど、その引き金をわかっていながら引いたのはユダっすよね、とか思ってしまう。もちろん墜ちた英雄となってしまうが、それも折込済みだったはず(イエスの最も望まない形での最悪の逮捕となるけど)。じゃなければイエスは一人で自分の死をどこでどんなカタチで着地させるつもりだったんだろ。そしてこの出来事を筆者は「ヘレニズム的教会」の見地じゃなくと喚起するけど、「ギリシア語を話すユダヤ人(へレニスト)」と「ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)」のことは難しいしそこまで興味ないし老眼で検索も疲れるし浄土真宗やしということで今はシカトすることに。萩原健一「愚か者よ」(1987年)を。ちなみにショーケンは「愚かな者よ」でマッチは「愚か者よ」と歌い出します。そうっすよね。(230526)
2023.06.27
143ページから。興奮する群衆や巡礼者が集まる中、夕暮れの最後の晩餐で起こったこと。それは「イエスの生涯読書記15・16」で起こった1年前のガリラヤでの山上の宣教の出来事の繰返しだった。リーダーとして祭り上げたい人々と愛を説き彼らの望みを拒むイエス。そしてイスカリオテのユダはイエスが決意を覆さないとわかっていながら反駁する、「この過酷な現実に神の愛がどこにあるのでしょう」と。そしてイエスに「したいことをするがいい」と言われたユダは。この先の顛末は覚えてるけど本項を改めて読むことでユダの印象がだいぶ違う。気分はクレイジーケンバンド「タイガー&ドラゴン」(2005年)不思議なほどぴったりしっくり。(230525)
2023.06.25
139ページから。第十章「逮捕の夜」。第十章の始まりは過越祭を明日に控えた夜。春の夜の「最後の晩餐」の解説から。それはダ・ヴィンチをはじめ数々の画家が絵画に残した厳かな雰囲気ではなく、イエスを熱狂的に支持する群衆や巡礼者たちが家を囲み、食堂には家主やその家族などが集い、イエスの話に耳を傾けた。そんな興奮の熱をはらむ情況だったと著者の推測が綴られる。 ザ・フォーク・クルセダーズ「青年は荒野をめざす」(1968年)を。(230524)
2023.06.24
135ページから。イエスが神殿の庭で商売をする人々の椅子や台を覆し退去を命じた「宮きよめ」事件をあげ、これは中央が狡猾に静観していた結果であり過越祭で死のうと考えていたイエスが彼らに捕縛されるために仕組んだことではと仮定する。しかし何も咎めはなかった。その頃のイスカリオテのユダの気持ちは。一度は幻滅した女なのに別れようと思っても別れられない心理に似ていると著者は分析する。嗚呼、だからユダはあんな行動に出たのか?ひょっとしてイエスの想いを叶えるために?エルサレムの夜、イエスはただ一人祈る。日中に反し急激に冷えて驚くほど星が大きい。過越祭まであと二日。「星に願いを」(1940年映画「ピノキオ」主題歌)聞こう。(230523)
2023.06.22
131ページから。230615に投稿した「イエスの生涯読書記26」のベタニヤ村シモンの家からエルサレムまで歩いて30分。ついにイエスはエルサレムに入る。監視員から報告をうけるも中央はイエスの人気と彼を支持する巡礼者の暴動を恐れ自らの保身のためにイエスを逮捕できず静観のまま過越祭まであと3日と迫る。イエスの気持ちは誰も知らない。うーんと思いを巡らせば何故だかビージーズ「哀愁のトラジディ」(1979年)が浮かんだ。悲劇が幕を開ける。(230522)
2023.06.19
127ページから。「受難物語」は全部が創作なのか、どこまでが事実てどこからが創作なのか。230512投稿の「イエスの生涯読書記8」の項で事実と真実の違いが後で述べられると書いたが、その時が来ました、いやー、ここで来るのか。遠藤氏曰く、その時代の信仰者が心底欲した場面は事実などという枝葉末節をはるかに越えた真実である。目に焼き付いた事実と心に醸成した真実みたいな。山頭火の句(真逆ですが)のような。そしてボブ・ディラン「はげしい雨が降る」(1963年アルバム「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」収録)を。(230521)
2023.06.18
123ページから。イエスを理解し悩み反発したユダの苦悩を描く。他の弟子たちにはまったく理解できない会話の真意、その裏で交錯する愛と実利の交わらない苦悩。そして第九章「エルサレムよ、エルサレム」へ。ついに受難物語が幕を開ける。そして受難といえば岩佐真悠子主演映画「受難」(2013年吉田良子監督)を思い出す。(230520)
2023.06.17
119ページから。イエスと弟子たちは過越祭に向けてサマリヤからジェリコを経てエルサレムへ向かう。その道中でも巡礼者はイエスに群がりメシヤと呼んだ。ベタニヤの村で宿を借りたシモンの家にはマルタとマリアの姉妹がいてイエスはマリアから足に香油を注がれる。えっ、マリアから油を塗られる描写再び。でも230514に投稿した「イエスの生涯読書記10」で書いた娼婦マリアがマグダラのマリアでこっちは普通のマリアっすよね。マリアってそんなにあちこちにいたのか。母を含め3人のマリアやん。トリオやん。ま、イエスもよくあるありふれた名前らしいけど。そしてマリアで思い浮かんだのは映画「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年ロバート・ワイズ監督)のジュリー・アンドリュース扮するヒロインの修道女見習いマリア。これでマリアカルテットですやん♪(230519)
2023.06.15
115ページから。折も折、バラバという男とその一味が反ローマ一揆を起こしローマ兵に鎮圧されるもその動向はユダの荒野に集まった巡礼者を刺激した。イエスと弟子たちはそんな状況下で再会したと遠藤氏は語る。そして再び群衆はイエスに勝手な夢を託しその不穏な動きは中央をイエス処刑の方向へ駆り立てる。そんなきな臭い動きの中、イエスの再びの人気に高揚する弟子たちの中で暗い顔のイスカリオテのユダが登場する。BLANKEY JET CITY「PUNKY BAD HIP」(1993年アルバム「C.B.Jim」に収録)が頭で鳴り始める。(230518)
2023.06.14
111ページから。不穏な状況の中、中央は熱狂が醒めたイエスをはじめ自称預言者たちまで反発の動きを怖れ警戒した。本ページで紹介される異端者の罰し方が逃げ場のないイエスの現状を実感するけど、この時期、イエスはヨルダン川に近いユダの荒野で弟子たちと合流したと遠藤氏は推測する。「死のバプテスマ」が迫る。パンタ「ダーダーヤーヤー」(1987年アルバム「クリスタルナハト」に収録)が鳴る。(230517)
2023.06.12
107ページから。イエスが死を予感して弟子たちを宣教に旅立たせる時もまだ弟子たちはイエスが何者かわかっていない。あくまで民族運動のリーダーなのです。痛めつけられたユダヤ魂のリベンジなのです。そして第八章「ユダ、哀しき男」の始まり。弟子たちが宣教に出てからのイエスの行動は聖書に書かれてないらしい。しかしこの時期、ローマで政変が起こりそれはローマの後ろ盾を失った知事ピラトをはじめユダヤも揺るがした。状況的には日本の幕末維新か。導火線はひかれ爆弾は近づく過越祭。きな臭い匂いが漂い始めた。なぜだか泉谷しげる「暗闇街丑松通」(1974年アルバム「黄金狂時代」収録)がよぎる。(230516)
2023.06.09
103ページから。イエスが弟子たちに来る死を告白し、弟子たちを二人一組で宣教活動に送り出す別れの時が迫る(その宣教は失敗するとわかっていながら)。え~、イエスと弟子たちの別れ、そんな時期もあったのかと三度も読んでながら新鮮な驚き。きっと数年後に五度目に読み直す時があっても驚いてんだろうな。だから今記録しておくことに意味があるんすよ。そして吉田拓郎「むなしさだけがあった」(1973年アルバム「よしだたくろうLIVE'73」収録)。一番と二番の歌詞がほとんど一緒なのにめちゃ好きな歌。(230515)
2023.06.07
99ページから。イエスが弟子たちに自分の死を打ち明ける。預言者イザヤ書の「苦難の僕」の歌の通りに。しかし弟子たちはイエスの告白をまったく理解できず。僕もこのあたりはエアポケットのごとくまったくすっかり覚えてない。けっこうギュギュッな内容なのにな。ザ・タイガース「廃墟の鳩」(1968年)。フォークが台頭しGSブームが終盤を迎えつつある頃を反映した、らしくない一曲。(230514)
2023.06.05
94ページから。第七章「無力なるイエス」。放浪中も監視員たちの目は厳しく、ヘロデ・アンテパス王の支持者も結託してイエス殺害計画が立てられたほどだった。この時期、西暦紀元30年頃。逃れ逃れてガリラヤ湖の北およそ50キロ、ピリポ・カイザリヤ近くの丘陵地でイエスは12人の弟子の選定を行った。このあたり、三度も読んでるのにまったく記憶にございません。思うは映画「サウンド・オブ・ミュージック」から「すべての山に登れ」かな。(230513)
2023.06.04
89ページから。ナザレから逃げるように北の丘陵へ放浪するイエスと弟子たち。その弟子たちを主人公にして聖書を読むとすればテーマは「弱虫、卑怯者、駄目人間がどのようにして強い信仰の人たりえたか」ということになる。そしてそのふしぎな弟子たちの変りかたの原因こそが聖書が私たちに課する謎だ、と著者が決め打つ。そう言えばぺテロは磔刑にされたときイエスと同じではなく逆さまに張り付けることを申し出たとか(うろ覚え)。なるほど、名探偵狐狸庵先生の推理やいかに。吉田拓郎「諸人こぞりて」(1976年アルバム「クリスマス」収録)いいっす。(230512)
2023.06.01
86ページから。ガリラヤで群衆の幻滅と憎しみにさらされたイエスはナザレに戻るがスパイたちの裏工作もあり命を狙われるなどさらに酷い目に会う。ここで六章タイトルの意味がわかる。それはイエスの悲しみに暮れた言葉。多くいた弟子団も崩壊し、無力な男の烙印を押されたイエスは残った数少ない弟子たちとナザレを去る。吉田拓郎「人生キャラバン」(1986年アルバム「サマルカンド・ブルー」収録)が浮かぶ。(230511)
2023.05.30
82ページから。第六章「人の子には枕するところもない」。前章も含めていつ頃の出来事かというと28年初めにイエスがヨハネの洗礼を受けるために家を出てから3年目頃の過越祭近くのことらしい。山上の説教がもたらしたもの、群衆のイエスへの幻滅、そして弟子たちの動揺。さらには期待を裏切られた先に生まれる憎しみの感情。改めて知ったこと、この頃のイエスの弟子たちは12人どころかガリラヤ人で純粋なユダヤ教徒がめちゃいっぱいいたらしい。彼をイスラエルを救う民族指導者と信じて。この頃イエスの年齢は30代後半か40代前半頃とちゃうかなぁ、本書では。久しぶりに加川良「明日天気になあれ」(1974年アルバム「アウト・オブ・マインド」収録)。(230510)
2023.05.26
77ページから。集まった群衆に分け与えたのはイエスの愛の言葉。なるほど、カナの結婚式で「水を酒に変えた」奇蹟と似てる。でも結果が違った。そのメッセージは聴衆の求めたイエスではなく、スパイたちが望んだ大衆のイエス離れが始まる。失望する群衆に紛れてスパイたちがほくそ笑む。斉藤哲夫「グッド・タイム・ミュージック」(1974年アルバム「グッド・タイム・ミュージック」より)が聴こえる。(230509)
2023.05.23
73ページから。前述で、「ローマ皇帝に税をおさむべきか。おさめざるべきか」という狡猾なスパイたちの問いかけにイエスは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と答える。イエスの言質をとる策略にことごとく失敗した監視員たちは民衆がやがて熱狂から冷めるのを待っていた。過越祭近い日のガリラヤ湖での伝道のエピソード、群衆に数個のパンと二匹の魚を五千以上に増やして分け与えたという奇蹟が語られる。それは何かと問われればベンベン、お後がよろしいようでベンベン♪中村晃子「虹色の湖」(1967年)、昭和を語るならこの前後あたりから。(230508)
2023.05.22
69ページから。「ローマ皇帝に税をおさむべきか。おさめざるべきか」イエスを異端者、ローマへの反逆者とするためのスパイたちの巧妙な問いかけ。イエスの返答と共に有名なエピソードが語られる。あまりにも悲しい現実の前でイエスの孤独と苦悩は深まるばかり。よしだたくろう「どうしてこんなに悲しいんだろう」を久しぶりに。(230507)
2023.05.21
65ページから。第五章スパイたち。この頃イエスはすでにエルサレムのブラックリストに載っていた。ヨハネ教団からも独立した存在でその行動はエルサレムから派遣された監視員に見張られていた。大衆に混じってイエスの言動調査まで行っている。聖書に記されるパリサイ派や律法学者とイエスの問答は言質をとろうとするスパイとイエスの眼に見えぬ心理戦、頭脳戦だと著者は語る。信者からは誤解されエルサレムからは罠を仕掛けられ、イエスどうする。PANTA&HAL「螺尾(ラビ)」(アルバム「1992年TKO NIGHT LIGHT」収録)がよぎる。(230506)
2023.05.20
61ページから。ポスト預言者ヨハネ、武闘派ゼロテを支援するリーダー、病を奇蹟で治す聖者。人々に都合のいいように誤解され孤独を深めるガリラヤでのイエス。布教のさなか、大衆の危うさや脆さ、怖さが見え隠れする。この危機感、どうするどうなるイエス。映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973年ノーマン・ジュイソン監督)見てないのが悔やまれる。(230505)
2023.05.18
57ページから。娼婦マグダラのマリアの泪から語られる聖書の「奇蹟物語」と「慰めの物語」。前者はガリラヤに伝わるイエス伝説、後者は実際に弟子たちがガリラヤで見たイエスの姿。人々は奇蹟を求め、それが起こらなければ怒り離れていくことも。愛の無力さも。そして映画「ダ・ヴィンチ・コード」(ロン・ハワード監督・ダン・ブラウン原作・2006年)のこととか。そしてなぜかよぎるザ・テンプターズ「神様お願い」(1968年)とか。(230504)
2023.05.16
53ページから。イエスのガリラヤでの暮らしを綴る。ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)や湖畔での話。ユダヤ教パリサイ派の人に招かれた食事の場面でマグダラのマリアの姿。あ、この時だったのかとイエスの足に香油をぬる描写で思い出す。パンタ「4759」(87年アルバム「クリスタルナハト」に収録)がよぎる。(230503)
2023.05.14
49ページから。貧しい家族を捨て出ていってから2年。ナザレに戻ったイエスはすでに名が知られ、主流派からの敵意と民衆からの誤解の目に晒される。そういや坂本龍馬も本心は言わなかったんすよね、孤立して殺されるから。ま、イエスとはまったく違うけどふと浮かんだんで。基、イエスのガリラヤでの最初の活動は始まった。ガリラヤの春、記憶が正しければメル・ギブソンの「パッション」(2004年)はガリラヤの春のシーンから始まったと思う。(230502)
2023.05.13
45ページから。聖書作家たちが意識的に書かなかったことと理由。書かなかったこと、ゼロテ党、民族運動、エッセネ派。その理由は原始キリスト教団への弾圧を防ぐため。そして第四章「ガリラヤの春」で語られる伝記の事実と真実。この事実と真実の話はもっと先で具体的に語られるエピソードがあると(たぶんニュアンスは違うが)記憶してる。そこがモヤッとしていて改めて知りたい。(230501)
2023.05.12
41ページから。30年頃、反ローマ民族運動のリーダーとみなされたヨハネとイエス。ローマ皇帝、ユダヤ王、ユダヤ知事、ユダヤ教主流派に蔓延する保身と忖度と疑惑。そんな思惑の中心で律法を破り安息日に病人の看病をするイエス。ハラハラドキドキの危険で不穏な空気が息苦しいっす。ニュアンスはまったく違うけど(そのカケラもないけど)映画「西部悪人伝」(1969年)をどうぞ。(230430)
2023.05.10
37ページから。ヨハネ教団には同郷のガリラヤ人もいて二人の弟子もできた。イエスは弟子を連れてガリラヤに帰る。カナの婚姻の宴での水を酒に変えた奇蹟とイエスが母マリアを連れてガリラヤ湖の辺りカペナウムに移り住む話、そして洗者ヨハネの逮捕と殺害の推測が語られる。「水を酒に」の謎が知りたかったんでスッキリ。しかしこのページは濃い。(230429)
2023.05.07
33ページ「第三章危険なる初期時代」。洗者ヨハネの人気と反ローマ、ユダヤ独立感情の高揚、そして主流派の動揺。この頃からイエスも目をつけられる。様々な要因が絡まり交わり誤解し別れの決意の時が迫る。気分は吉田拓郎「永遠の嘘をついてくれ」。(230428)
2023.05.05
32ページまで。ああそうか、イエスがヨルダン川近くの山で40日の断食に入り悪魔の誘惑を退けた話はヨハネ教団の頃だったのか。そして著者は推測する。山はクムラン教団のことで誘惑は彼らの誘いのこと。しかし、新約聖書にはエッセネ派もクムラン教団も出てこない。そして愛を語らず戒めを命ずるクムラン教団、敬愛するヨハネとの別れも近い。32ページラストに「イエス御自身は彼等(ヨハネ教団)に自分をお任せにならなかった」(ヨハネ福音書)と結ぶ。TOKIO「宙船」がよぎる。(230427)
2023.05.04
26ページまで。28年2月頃にヨハネの洗礼を受けたイエスはしばらくはヨハネ教団の中で過ごすことに。その間の心情が綴られる。なるほど、当たり前ながらイエスが去った後もヨハネ教団もクムラン教団も活動してる。信者から見ればイエスもかつてヨハネ教団にいた仲間の一人にすぎないし。いろいろとユダヤ主流派だけじゃないっすね。(230426)
2023.05.01
22ページまで。羊飼いによる死海文書発見と荒野のエッセネ派とクムラン教団と預言者ヨハネと洗礼とイエスとは誰かの話。この辺は覚えてた。というか覚えてた話と思い出した話が繋がって新鮮。聖書には書かれていない話。AKB48「 羊飼いの旅」(2012年)を思い出す。(230425)
2023.04.29