(――って言っても、コイユールは、どこにいるんだろう…?
トゥパク・アマル様とアレッチェの面会が終われば、またアレッチェの看病に戻らなきゃならないんだろうから、やっぱりアレッチェの部屋の近くだろうか?)
そんなふうに心の中で呟きながら、中庭を駆け抜けて、アレッチェの居室へと続く外回廊の近くまでやってきた。
その回廊傍の樹木の陰で足を止め、とりあえず辺りの様子をうかがってみる。
だんだん夜も更けてきた上、このような砦の奥まったところでは、専門兵も義勇兵もその姿は無く、ただ風が樹々の枝葉を揺らす音がするのみである。
とはいえ、なにしろ戦場の砦の一角ではあるし、現在はトゥパク・アマル軍が占拠している場所とはいえ元々はスペイン軍の要塞でもあるわけで、どこにどのような危険が潜んでいるかも分からない。
アンドレスは暗闇に身を潜めて己自身の気配を消したまま、周囲の様子に、じっと目をこらし、聞き耳を立てた。
外回廊の最奥には、アレッチェの居室の重そうな扉があって、その前には2~3名の屈強なインカ兵たちが立ちはだかっている。
それらの衛兵たちがそこにいるのは、アレッチェが良からぬ行動に出ないよう見張っている、というのが表向きの理由である。
しかし、実は、インカ族の者たちから甚だしい恨みを買っているアレッチェを、それらインカ兵たちが復讐を果たしに居室に乗り込んでいくのを防ぐためのトゥパク・アマルの措置である――とも噂されている。
(むしろ殺気立ったインカ兵からアレッチェを守る――確かに、トゥパク・アマル様のなさりそうな采配だ。
俺だって、あそこにアレッチェがいると思ったら、今だって、ぶった斬りに行きたい衝動が突き上げてくるもんな……)
そんなことを胸の奥で呟きつつ、さらにアレッチェの居室の周りに夜目を走らせる。
居室の側面にある窓からは、厚いカーテン越しに、燭台の灯りが揺らめきながら漏れている。
(あの中では、今も、トゥパク・アマル様とアレッチェが話しをしているんだろうか。
一体、何を話しているんだろう……)
そんなふうに、アンドレスの意識が、アレッチェの部屋の窓辺に集中しかけた時だった。
ふいに風に乗って、彼の耳元に、微かに人の話し声が聞こえてきた。
それは、自分のいる中庭傍の回廊の、もっとアレッチェの居室に近い柱の陰からで、それが、どんなに声を潜めていようとも、コイユールと従軍医の会話であることはすぐに分かった。
「先ほどから、わたしは、おまえを責めているつもりはないんだよ、コイユール。
だけど、もっと慎重なはずのおまえが、なぜあのような軽はずみなことをアレッチェに言ってしまったのか理解できないのだ」
「先生…申し訳ありません……」
木陰から息詰めて様子をうかがっているアンドレスは、なんだか盗み聞きをしているような後ろめたさを覚えて、数歩、反射的に後ずさった。
それでも、どうしても、その場を離れることができない。
それというのも、うつむいたコイユールの横顔が、紅々とした松明に照らされていながらも、あまりに青ざめ、強張っていたからだった。
従軍医の口調は、決して詰問するような険しい印象ではなく、むしろ、様子のただならぬコイユールのことを深く案じ、同情しているかのようである。
「アレッチェの全身の火傷も、身体機能も、重い後遺症を免れないものであることは、おまえには幾度も説明してきたし、おまえ自身も、毎日、あの症状を見ていたのだから、知っていたはずだ。
それなのに、あんなふうに、必ず治る、などと請け合ってしまったら……。
それが叶わなかった時……いや、当然、叶わないわけだから、それをアレッチェが自覚した時、あの者がどんなに失望して荒れ狂うか、その上、おまえにどんな酷い仕打ちをしてくるか、心配でならないのだよ。
いや、こんなこと…、今さら言うまでもなく、分かっているはずじゃないか。
だのに、完治させるなどと誓ってしまったなんて、あまりに無茶すぎる。
コイユール、おまえがそんなことをするとは、今も信じがたいのだよ。
何か、よほどの理由があってのことではないのかね?
――理由があるのなら、わたしに話してくれないか?」
「――――……。
……本当に…すいません…先生……本当に……」
深くうなだれて途切れ途切れに擦れ声を漏らすコイユールは、離れた場所から見ているアンドレスの目にも、今にも泣き出しそうで、必死にそれを堪えているのが分かる。
その姿を見守っているアンドレスも息苦しくなって居たたまれず、思わず二人の間に割って入っていきたい衝動に駆り立てられる。
が、彼が飛び出していくより早く、従軍医が、邪気を払うように白髪頭を振ってから、溜息交じりに静かに言った。
「――コイユール、すまない。
言い過ぎてしまったね。
わたしも、気付かぬうちに疲れがたまってきているのかもしれん。
とにかく、この話は、今はやめておこう。
おまえも、しばらく休息をとってきなさい。
わたしも、少し休んでくるから」
そう言い置いて、従軍医は中央回廊の方へ歩み去っていく。
その様子を見定めると、アンドレスは、気配を消したまま、素早くコイユールの近くに駆け寄った。
そして、大木の陰から、低音(こごえ)で呼びかける。
「コイユール、コイユール、俺だよ……!」
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≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪アンドレス≫(インカ軍)
トゥパク・アマルの甥で、インカ皇族の青年。
剣術の達人であり、若くしてインカ軍を統率する立場にある。
スペイン人神父の父とインカ皇族の母との間に生まれた。混血の美青年(史実どおり)。
ラ・プラタ副王領への遠征から帰還し、現在は、英国艦隊及びスペイン軍との決戦において、沿岸に布陣するトゥパク・アマルのインカ軍主力部隊にて副指揮官を務める。
≪コイユール≫(インカ軍)
インカ族の貧しくも清らかな農民の少女。義勇兵として参戦。
代々一族に伝わる神秘的な自然療法を行い、その療法をきっかけにアンドレスと知り合う。
アンドレスとは幼馴染みのような間柄だったが、やがて身分や立場を超えて愛し合うようになる。
『コイユール』とは、インカのケチュア語で『星』の意味。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊の総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
トゥパク・アマルに暴行を加えていた際の発火によって大火傷を負い、その現場である砦を占拠したインカ軍の元で治療を受けている。
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