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カテゴリ:どうなる日本
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ・国際平和を希求する ・戦争と武力による威嚇、行使を放棄する ・戦力を保持しない、交戦権は認めない 他の国にはありえない非常に崇高な憲法である。 そして、この条文の前提は、憲法前文に書かれている。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 つまり、理想である。そして、日本以外の諸国民が平和を愛している。それを信頼する。 という、前提だ。 理想と現実は同じものなのか。これは誰でも分かるだろう。そして理想に向けて努力すべきだと思うだろう。 そして、憲法が制定された当時、今と比べてどの国も貧しく、生きていくのが精いっぱい、とにかく自分の国を立て直したいという思いであった。国の外に目を向けたり、何かをしようなどという余裕はなかった。 そして、経済が発展した今、すべての国が平和を愛していると言えるだろうか。口で言っても実際の行動はどうか。 中国はなぜ、毎年軍備を増強するのか、南シナ海の島にいるベトナム人を銃撃するのか。互いが領有権を主張する島に一方的に軍事施設を建造するのか。 北朝鮮はなぜ、長距離ミサイルをつくり、核爆弾を開発するのか。それを周辺の国はどれほど脅威を感じているか。 少なくとも、日本国憲法前文とはかけ離れた国になったのではないか。 戦後70年を経て変わってしまった。これが現実。 戦争は絶対にやってはいけない、悲惨なものだ。 だが、国・国民を生命、財産を奪おうと攻撃を仕掛けてきたらどうするのか。 何か欲しいと言うなら、差し上げなさい。今着ている服も、食べようとしている食事もあげなさい。殴りたいと言うなら、殴らせなさい。殺したいというなら、どうぞ殺してください。 こういう無抵抗主義で相手と争わないという方法もあるが、それができますか? 自分の身を守りたいのが普通では?殴りかかろうとすると、反射的に避けようとするのが普通。 9条を守れと大声で叫んでいる人たちがいる。その時、戦争をするなというものの防衛をどうするかは言わない。 防衛も武器で戦うから戦争だ、と言っているように聞こえる。 戦争へ自分の息子が行って、殺されるのは困るというオバチャンもいる。では、何もしないで、攻撃され、犯され、略奪され、殺されるのは許すのだろうか。 憲法制定にアメリカが関わったからどうのこうのではない、この70年で回りが大きく変わったのに何も変えるなというのは、あまりにも変だとおもっていしまう。 日本が攻撃に対して何もしない、それで一番得をするのは誰か。攻撃、侵略、略奪をしてきた者。 つまり、9条を守れ戦争も、防衛戦争もするなというのは、攻撃側に有利になるように働きかけているように見えて仕方ない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.10.19 15:30:57
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