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小説家、堀田善衛の1985年の作品に「路上の人」という書き下ろし中編があり、その中でモンセギュールでのカタリ派の最後が描かれている、という事を人伝に発見した。早速、わが町のアジア図書館を捜したところ、筑摩書房の堀田善衛全集があり、この作品第八巻にちゃんと入っていた。
堀田善衛氏は、この作品のあとがきでこう書いている。「・・・キリスト教というこの明らかな存在と、それがもつ思想と現実の謎を、何とかして書いてみたいという願望であった。・・・筆者のような異教徒は、何年ヨーロッパに在住していたにしても、要するにヨーロッパの路上の人なのであって、ヨーロッパの人間ではないのであった。」 これはまさに僕の問題意識とほぼ重なり合う(大作家の言葉と自分を較べておこがましいが)。ヨーロッパとは若干状況が違うが、アメリカに長年住んで、やはり自分が異質だと感じることが多く、その根っ子にはキリスト教がある、と僕は考えている。その謎をいつか解き明かしたい。 既にそういうことを考え、書いてきた人が、ごく身近にいたわけだ。これからこの人の作品をもっと読んでみようと思う。 堀田善衛(ほったよしえ)氏は1951年に「広場の孤独」「漢奸」などで芥川賞を受賞。1977年より約10年間にわたってスペインに移住。1998年に脳梗塞で亡くなっている(80歳)。怪獣映画『モスラ』の原作者の一人でもあるそうだ。 さて、「路上の人」、主人公はヨナという自由人で、僧や騎士の従者、道案内をしてヨーロッパ各地を彷徨する。ヨナは、コンコルディア(ロンバルディア地方)伯爵で、法王付大秘書官兼ドイツ皇帝代表、アントン・マリアの従者となるのだが、アントン・マリアは、カタリ派と因縁を持ち、カタリ派と法王庁との衝突を避けさせようとしている人物だった。 作品の随所にカタリ派やアルビジョア十字軍について書いてある。僕のの「滅ぼされたカタリ派」で書いたことは、殆ど堀田氏も触れてある。例えば、 カタリ派・清浄なる人々と称される一派の人は、・・・北イタリアから西へ向かってリヨンをかすめ、プロヴァンス語あるいはオック語の話される地方一帯に広く、かつ根深く存在しているものであった。・・・ローマ法王は、北フランスやドイツの国王や領主をそそのかし、“十字軍”を持って打ちかけてきたものであった。特に北フランスの小領主達は、南部の、異端の領主達の土地を征服の代価として与えると約束されていたから、それは異端に対する戦いであると同時に、切り取り自在な、実入りのいい征服戦争であった。(p.99) カタリ派と直接関係ないが、南仏文化の中心でアルビジョア十字軍に最後まで抵抗したトゥルーズについて。 地中海と大西洋との丁度中間に位置し、強力なアラゴン王国と、北の英国とも交渉のあったトゥルーズは、この地方でもっとも栄えた町であった。ピレネーから流れ下ってくる急流のガロンヌ川は、このあたりで流れをゆるめて川幅を広くし、その川砂にまじる薔薇色の小石は夕陽に映えて、水のない部分の川床をさえきらきらと光らせた。そうしてその夕陽は、アラビア人達の作った、サラセンの塔と呼ばれるものを、紅殻色に輝かせもしたものであった。ここにはユダヤ医学の学校があり、またアラビア語によるプラトン学の本拠もあったのである。商売とともに学芸もまた栄え、トロヴァドールと呼ばれるオック語による吟遊詩人たちと、トロヴェロと呼ばれる北フランスの、オイル語による吟遊詩人たちとの双方が、ここでその詩の巧拙を競いもしたものであった。・・・市にはアラビア人たちの地区や、ユダヤ人地区もあり、彼らも自由に商売を営み、かつ医学や哲学の研究にも励んでいたのである。もっともその学問の程度は、トレドに及ぶものではなかったとしても・・・(p.131) 続く・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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