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一語楽天・美は乱調の蟻

2019.12.19
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日本の夜9時、10時台のテレビドラマは、結構アメリカでも見ることができる。どういう仕組みになっているのか知らないが、この時間帯のドラマの中から、日本での放映テレビ局に関係なく毎晩一本づつ放映してくれるからだ。11月と12月は、遊川和彦脚本の「同期のサクラ」を一番楽しみにしてきた。

遊川和彦の作品で最初に見たのは1989年の「ママハハ・ブギ」だった。もう話は覚えていないが、このドラマの主題歌がPersonzの「Dear Friends」で、Jillちゃんのハスキーな音程のはずし方が忘れられず今でも時々ユーチューブで愛視聴している。このあと続いて「予備校ブギ」、「ADブギ」が放映され、ブギ三部作となった。日常から少し逸脱した状況を設定し、そこに主人公を投げ入れ、蠢く人間達の多角的化学反応の行く末を観察する。最近では、「過保護のカホコ」の状況設定とそこからの展開が面白かった。カホコ役の高畑充希が、「同期のサクラ」のサクラを演じている。

「同期のサクラ」というドラマを動かしているのは主人公・サクラの抱いている理念と持って生まれた忖度しない正義感だ。理念あるいは夢というのは、故郷の島に橋をかけることがひとつ、もう一つは、一生信じあえる仲間とたくさんの人を幸せにする建物を造ること。毎回のように繰り返されるこのキング牧師のような夢発言には少々辟易するものの、その分テーマははっきり提示されている。

サクラの忖度をしないマイペースな生き方、状況や上下関係に関わらず正しいことを為すべきだ迫る態度は、僕たち普通の社会人の生き方の対極にある。僕たちはそういう風に生きることはできないのだ。しかしそのサクラは、まるで普通人の罪を背負って死んでいったキリストのように過酷な場所に落とされていく。そのおかげで、周りの社会人たちは一人一人それぞれの<疎外状況>から這い出してある種の解放に到達する、そこにこのドラマ一話一話のカタルシスがある。疎外された状況に嵌って身動きができなくなっている人たちとは、たとえば、組織の為に自分を殺して常に頭を下げている人(シングルマザーの彼女は、自分の娘の眼の前で誇り高く振る舞えないことに悩む)、勝ち負けにこだわり自分の価値を見いだせない人(口先ばかりで周りからは本当は認めてもらえていないことに気付き苦しむ格好つけ屋)、組織の中で引きこもり状態に陥っている人(彼も自分の価値を見いだせず周りを蔑むことで何とか持ちこたえている)、この人たちが、サクラの自己犠牲に助けられて疎外から抜け出す。ここで自己犠牲とは、自分の社会での位置や地位を落とすことになっても友人たちを守ろうとするサクラの姿勢だ。

しかし、サクラの自己犠牲はそもそも友人たちへの自然な愛情に由来するものではない。いわば理念から捻出された無理強いされたものではないだろうか。正しいことを正しいという、そして一生の友人を作らなければならない、という理念がサクラをこういう友情行動に向かわせたのだ。理念的なものである分、壊れる時も脆い、と予想する。(バイクに轢かれそうになった隣人の子供を衝動的に助けた時は別である、理念ではなく自然な行為であった。)

サクラの愛情の理念性が、どのように歪んだ形で現れるのか、あるいはどのように修正されて自然なものに変質するのか、しないのか、最終回が答えてくれるだろう。






最終更新日  2019.12.19 14:55:46
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