カテゴリ:仕事以外の日記
■今日、最終回を迎えました。足かけ3年。私はずっと観ていました。
ナレーションにみるコンセプトといい、役者の演技といい、映像の迫力といい、すばらしいドラマだったと思います。 だから最終回にはかなり期待していたのですが… 結果からいうと、残念な内容でした。 ■原作者の司馬遼太郎は、この小説を多義的に捉えらえるように書こうとしていたようです。少なくとも、国威高揚小説を意図してはいません。 今回のドラマも、原作者の意思を汲んだ内容になると思っていましたから、戦後の後日談をどのように描くのかを楽しみにしていたのですが、相当、能天気な話で終わっていました。 これが、3年もかけたドラマの限界だったのか…と思ってしまいました。 ■日露戦争は、決して日本が大勝利したわけではありません。優勢な局面で講和に持ち込めたという結末です。 当時の日本軍は、まさかロシアととことん戦争して勝てるなどとは思っていませんでした。潮目を神経質に見極めていたわけです。 司馬遼太郎によると、日本軍がリアリズムを持っていたのはその時までで、日露戦後、日本軍は軍事的な行動の検証を殆どしなかった、どころか、失敗を隠ぺいしようとしたらしい。 海軍がバルチック艦隊を完全に撃滅したのは事実ですが、陸軍の優勢はむしろロシアの戦術的な撤退の側面も少なからずあったようです。 もともとロシアは、引いて引いて、相手が深みにはまったところを反撃するという戦法が得意です。その流れに従っていたとも見ることができます。 バルチック艦隊の全滅というまさかがなければ、戦争は終わらなかったでしょう。 ところが、「日本軍はロシアより強いから勝った」などという無根拠な神話ができてしまって、昭和の破滅戦争につながってしまったというのが司馬遼太郎の主張でした。 そういう主張をあちこちでしています。 ■そして主人公たちも、今回描かれたような能天気なままの人物としては描かれていません。 秋山真之は、戦争のストレスからか、新興宗教や霊の研究に凝るなど、やや精神の平衡を失ったのではないかと記述されています。 秋山好古は、陸軍大将を務めた後、退役し、どういうわけか、わざわざ田舎の学校の校長となります。彼は、自分の子供たちが軍人になるのを許さず、尊敬する福沢諭吉の思想を学ばせるために慶応義塾大学へ行かせます。 そして、超人的な精神力の持ち主だと思われた好古が、死ぬ間際まで日露戦争当時の悪夢にうなされていたという事実が小説のラストシーンとなっています。 要するに、それほどギリギリの戦いを経てきたのであって、彼らが支払った代償も大きかったのだというのが、小説の解釈であり、司馬遼太郎なりのバランス感覚であったと思います。 ■今回、秋山真之が悩みを吐露するシーンなどにその雰囲気は出ていたものの、ラストとしては、明治の人たちは前向きだったなーーと笑って終わるような決着でした。 そんな問題意識では、渡辺謙の名ナレーションが急に軽い浮ついたものに聞こえてしまうではないか。。 わざわざ、21世紀に日露戦争のドラマを放映するという意味をどのように捉えたらいいのか。懐かしいなーーよかったなーーだけでは、「三丁目の夕日」みたいな軽い懐古趣味だけで終わってしまう。 NHKが相当力を入れるのだから、それはないだろーと思っていたのですが… 実に残念であるという次第です。 ■このことは、今週発行のメルマガに書いてみたいと思いますので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 26, 2011 02:25:19 PM
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