帰属意識
雨の八尾・・四方を山に閉ざされた、川のせせらぎが響くひっそりとした小さな町。大きなビルもコンビニもない。古い小さな民家、石畳の狭い路地はかつてのまま。特別なものは何もない、産業も工業もない、過疎化の進んだ日本海側の山奥の里の一つにすぎない。ただしひとつだけ、9月初旬の年に一度の遅い盆祭りがその町を特徴づける強く明確なアイデンティティーとして世代を通して人々の間で守り継がれてきた。優雅でどこかミステリアスな振り付けと、哀愁ある民謡の調べ。代々この町に住む人間のDNAに刻まれてきている。自らが、弾き、唄い、踊り、祭りの担い手になること。それが帰属意識であり、郷土愛であり、故郷や自分に対する誇りでもある。暗闇の中に浮かび上がる人々の暮らしの証。自分の生活には、ひょっとしたら、ないかもしれない。郷土愛や愛国心はあっても、自らが継承する文化というものが・・・。**************あいにくの雨でしたが、この町には強く心を打たれるものがありました。そして、なぜかこういう機会に、そういう雰囲気の中で、10年ぶりの友人と再会してハグしあったり、いつも地元で会っているはずの友達たちとぶらついたりするってことは、よく考えると、とても不思議なことでした。そう、まるでその時代に舞い戻ったよう。あの頃も、イスタンブールの石畳のストリートでも、どこからともなく仲間が集まってきて合流したり、特に何をすることもなくストリートをぶらぶらと歩いては、また一人一人路地裏に消えていったり、いつもそんな感じで時間が過ぎてゆき、特に何をすることもなかったけど、そういう仲間といることで、ちょっとした安堵感を感じていたり。あ~あ、みんなピュアでいい奴だったよなあ。。。。そしてありがたいことに誰も何も変わっていないことを、こうして今確認できている。私は傍観者ではありますが、まことに身勝手ながら、古き良きものが時代の波に流され消えてゆかないように祈るばかりです。そして同様に、友人の優しさと純粋さもそのまま、ずっと変わらないでいてほしいと思います。たとえそれでその人が世の中とうまく折り合いをつけられなくとも、そういう人が変わらず友達だってことが、私にとってはある意味誇りというか、それが私にとっての帰属意識だったりするのかもしれないと、そんな風に考えたりするんです。After 10 years, Friendship still remain...